旧東海道ラン#12 関~石部の巻
前回の東海道は07年の11月だった。桑名~関。今年08年の2月は東京マラソンというイベントがあったためちょっとのびのびになっていた。本来ならばこの日、関~石部、一泊した翌日続けて石部~京都と走り、旧東海道五十三次のランが完成するつもりだったのだが、ゴールしてしまうことが心理的にどうにも寂しく、現実的には宿が予約できなかった(前日になってから予約しようとするのが悪いのだが)という理由で日帰りで関~石部のみとなった。これでもう一度だけ走ることができることになった。来春あるいは来秋にしようか。
さて、朝一番ののぞみで名古屋まで行く。名古屋から関西本線の各駅停車に乗り換え、終点亀山まで行った。名古屋までが78分なのに亀山までが86分もかかった。途中信号待ちだとか通過待ちとかで数分待つことが何度もあった。そう、関西本線は単線なのだ。亀山から関まではひと駅なのだが33分も待つというひどい接続のため、亀山からタクシーで関宿まで行った。本来はタクシーの中で着替えをするつもりだったが、なんとなく話がはずみ、着替えを忘れてしまった。シャープの亀山工場の客を乗せることが多いとか、新しい国道ができて旧国道が県道に格下げになったとか。
関宿の中心にある御馳走場でジーパンとウィンドブレーカを脱ぎリュックにしまう。前回はここがゴールだったのだ。シューズのヒモをきつく結ぶ。0945時にスタートした。古くの宿場町そのままの町並みが残った素晴らしい通りをゆっくり走る。銀行まで街並みに合わせた建物だった。快晴の中気持ちよく走れる。市瀬では五十三次の宿が一本づつ柱に書いてあり、これまで走ってきた過去を思い起させる。ずいぶん遠くまで来たものだ。少しずつ登りになり鈴鹿の山が眼前に聳え立つ。まさかこれを登ることにはならんだろうが、ちょっとだけビビった。片山神社あたりは石畳でかなり急な登りが始まる。が、あっという間に峠を越えることができちょっと拍子ぬけだった。もしかしてここから滋賀県か。これで三重県とおさらばである。しばらく走ると海道橋という立派な橋があった。川の水がきれいで夏にはどんなトンボが見られるのだろう。この水は琵琶湖に流れ込むのだろうか。田村川というらしくしばらくして合流して野洲川になるという。土山宿を通る。なんだか人通りが少ないような気がする。今日は朝、新幹線の中でサンドウィッチとおにぎりの朝食を食べ、名古屋駅でさらにパンを食べたのであまり腹は減ってない。コンビニがあれば昼飯をゲットしようと思っていた。自販機を見つけ、暖かいコーヒーと行動食として持ってきたスニッカーズを食べた。水口宿に入ると中心部が三本の道に分かれている。どれでもいいのだが真ん中を通って見た。再び合流して近江鉄道の踏切を越えてからの屈曲点を間違えて直進したあたりでキョロキョロしていると軽トラに乗った男が声を掛けてきて正しい道をわざわざ教えてくれた。大感謝だ。看板に「いぬい」という名前を目に瞬間、野洲川と結びついた。数年前に高校サッカーで優勝したセクシーサッカーの野洲高校。野洲高校から横浜Fマリノスに入団した乾選手。乾という苗字がこのあたりの出なのだろう。
横田の渡し公園に巨大な常夜灯がそびえていた。横田橋を越えるのに歩道橋を使わなくてはならないようになっていて、歩行者にやさしくない構造だった。プンプン。三雲駅前は道路工事のため通れなかったが案内の男が親切に教えてくれ1ブロックほど裏通りを通った。だんだん腹が減ってきたのだがコンビニも牛丼屋もない。なんで?並行して走る国道1号に出ればあるのだろう。そろそろ本日の終盤である。トンネルを二度抜けると石部宿に入った。御高札場や本陣跡があった。一里塚あたりでゴールとした。1640時だった。なんと結局昼食抜きだった。JR石部駅までのろのろ歩き、駅前のベンチでゆっくり着替えた。その前を草津行き電車が通って行った。あぁ、次は30分後だ。湿度が低かったせいかそれほど汗でぐっしょりではなかったのでちょいちょいとタオルでふくだけでジーパンをはき、ヒートテックのシャツと温かいセーターとウィンドブレーカを羽織った。すると何と雨が降り出してきて、驚いて駅に駆け込んだ。京都までの切符を買う。570円。トイレで顔を手などを水で洗った。気持ちよかった。電車で草津経由で京都まで行き、1時間後の新幹線の切符を買ってから大盛りパスタで腹を満たした。京都駅前にある銭湯「大正湯」の場所を調べていたのだが、今日はいいだろう。土産と缶ビールを買い、のぞみ38号で帰った。鈴鹿峠以降が緩やかな下りだったためか全体に疲れが少なく比較的楽に走ることができた。
コース:関宿~石部宿、距離:40.4km、タイム:5:55’09”、平均心拍数:136、最高心拍数:172、平均ピッチ:166、撮影枚数:274枚
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