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2009.12.31

セグロカモメ成鳥@三浦海岸

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初列風切は外側からP10、P9、、、、P1と呼ばれる。このセグロカモメはP10からP6までに明白な黒斑があり、P5にかすかな小さな黒点がある。なので6枚の初列風切に黒斑がある。
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このセグロカモメは非常に込み入った体勢で羽づくろいの最中。首が柔らかいんだなぁ。しかしいったいどこの羽を繕っているのだろうか。次列風切裏側基部あたりだろうか。右側の初列風切の先端がよく見える。ふだんは次列等の他の羽で見えない。翼の折りたたまれ方は三十年近く野鳥を観察してきた今でもちょっと不思議である。
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飛翔中のセグロカモメを横から見たところ。左側初列風切はP10からP5までの6枚に黒斑が見える。P10の先端はすべて白く見える
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セグロカモメの着地シーン。P10からP5まで黒班あり。P10先端は白く、P9にミラーが見えるが、これでセグロカモメに合致するのだろうか。ちょっと疑問。
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こちらのセグロカモメはP8を換羽中(伸展中)黒斑のある初列は左側は5枚に見える。右側は6枚。P10は先端にかすかな黒斑がありミラーになっている。ミラーはP10とP9の二個。
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真横から見たセグロカモメ。頭部に灰色斑が多い。黄色い嘴には下嘴に赤斑がある。脚はピンク色。初列が尾羽から突出せず伸びていない。ま、いわゆる図鑑的写真というやつ。12月26日、三浦海岸にて

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2009.12.30

セグロカモメ幼鳥とオオセグロカモメ幼鳥@三浦海岸

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このセグロカモメ肩羽と大雨覆にグレーの羽がでているので第三回冬羽と思われる。
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このセグロカモメ肩羽にグレーの羽がでているので第二回冬羽と思われる。初列風切はほぼ真っ黒。
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着地しようとしているこの二個体のカモメはともに初列風切の内弁が淡色なのでセグロカモメではなくオオセグロカモメの第一回冬羽ではないかと思われる。次列風切は18枚ほどあるように思われる。12月26日、三浦海岸にて

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2009.12.29

旧東海道ラン#4沼津~興津

旧東海道を走る#4沼津~興津
2003年12月9日

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旧東海道を走るシリ~ズその4!
日本橋~戸塚、戸塚~小田原、小田原~沼津は走破したので、次は沼津~江尻だ。という予定でいたのだが、結局江尻(清水)の一つ手前の興津(おきつ)までしか行けなかった。

行きは新横浜~三島が新幹線。三島~沼津が東海道線。帰りは興津~静岡が東海道線。静岡~新横浜が新幹線。と行きも帰りも新幹線を利用した。ちょっと贅沢だが、朝早起きをしなくていいのと、帰りに鈍行で3時間弱(2時間50分)もかけたくなかったからだ。
それにしても静岡だ静岡!すこし手前だけど。興津~清水~草薙~東静岡~静岡とJR東海道線は続く。興津から新幹線で新横浜まで戻るには東海道線上りに乗るには、なぜか三島まで戻らないと新幹線と交差しないのだ。だから静岡まで戻るのだ。

天気が良く富士山の写真を何枚も撮った。薩た峠からも富士山が見えよくある構図の写真も撮れた。今回は合計で150枚ほどか。走り的には後半結構苦しく、歩きもはいった。
フルマラソン以上の距離は自分には無理なのだろうか?と思った。これで日本橋から約160km走った事になる。1年半で。

                      実走タイム  グロス
1.日本橋~戸塚 約41km 約4:30’ 5:9’17”
2.戸塚~小田原 約40km 約4:20’ 4:50’02”
3.小田原~沼津 約37km 約5:00’ 6:27’
4.沼津~興津   約42km 約5:18’ 6:26’50”
だんだん「走り」以外の比重が多くなってきたような気がする。というか単に遅くなっているのか。

距離:41.7km、タイム:6:26’50”、ネットで5:18’(ロスタイムは約68分ぐらい)、心拍数:平均142、ピッチ155

吉原の製紙工場群

原から吉原に近づく道は一直線で、その先に真っ白い煙をもくもくと吐き続ける高い煙突が目印になる。煙は真っ白でやがて雲と同化するようだ。吉原に近づくと製紙工場の巨大な建物が目につく。異様だ。異常に高い建物の上の方に小さな窓がいくつか。中はどうなっているのだろう。なにか前世紀の遺物のような、あってはならない邪悪な存在のように見える。さらにかすかに異臭がする。普通に生活していては絶対にかぐことのない、なにかの化学薬品なのだろうか?ひどい臭いとまでは言えないが、かすかにこういう異臭がするということに一種異常な悪いことがこの大工場のどこかで行われているという証拠のように思えて来る。工場脇の道路の排水路はどこにでもあるようなものだが、そこに工場から伸びてきた排水管が何やらの煙をともなう液体を吐き出してる。いかん。こういう状況は見てはならない許されない行為を目にしたような気がする。公害華やかなりし頃にはどれほどの異臭と汚染物質が排出されていたのだろうか。こういう工場が何カ所もあるのだ。
東海道を走ってきて初めて「悪い」ものを見たような気がした。でも、ガイドブックもマップの紙もこういう製紙工場でつくられたものだろう。ふだん何気なく使っているものの製造工程なんか気にしないからなぁ。でもビール工場は見たが、そう悪い感じはしなかった。吉原の製紙工場群の煙突と煙は蒲原・由比・薩土垂峠からでも目についた。

富士川

吉原から蒲原の間で富士川を渡る。大きくて強力な川だ。多摩川とか鶴見川とか相模川とか酒匂川にはない「荒々しさ」を感じた。平野を緩やかに流れる川ではなくて山地から直接流れて来る水量が多く短い川だからだろう。富士川を渡ると遠く富士山が美しく見える。土手に常夜灯があり、常夜灯・富士川・富士山の3点セットの絶好の撮影ポイントなのだが、残念ながら付近が工事中で、無粋な工事用フェンスが景色をぶち壊していた。あ~がっかり。角倉了以(富士川の土木工事を行った豪傑らしい)の記念碑と高瀬舟をかたどった植え込み等もあった。ここで、目の前のファミリーマートで入手したおにぎり2個を食べ、お茶をたらふく飲んで、大休止とした。だいたいここで半分ちょっと過ぎたあたり。23km。

身体の痛みを感じながら

今回はスタート直後からあまり調子が良くなかった。ほんのかすかに頭痛がしたのだ。しかしほどなく消えなんとか普通に走る事は出来た。ただ、補給も問題だった。沼津の浅間神社を出てから吉原駅まで真っすぐ一直線。これがけっこう幹線道路なので、まちなかの小さな公園が無いのだ。30分毎に給水と食料の補給をしようと思っていたのだが、その場所が無くずるずると行ってしまった。原の浅間神社で小休止したのがスタートしてから43分後。その次の小休止が、その後約1時間後となってしまった。この最初の補給不足がすぐにたたってきた。吉原あたりで約半分ぐらいかと思ったが、既に右足のふくらはぎに違和感を感じ、なんというか「攣りそうな」予感とでも言うか、あまり感じたことのないかすかな痛みが出だしたのだ。これは大変と、急に力を加えないように緩めに走るよう心掛けた。しかし当初の予定である江尻(清水)までは到底無理だろうと諦めた。しかし興津までは頑張りたいが、果たして持つだろうか?不安を抱えながら走った。

富士川を越えたあたりから今度は左足のふともも前面に軽い痛みを感じだした。東名を越えて蒲原へ下る道で下りが辛くなっていた。やがて全身に疲労感が圧倒的になってきて、時に歩きを交えたり、撮影の為の小休止を多めに取り、だましだまし進んでいった。薩土垂峠(さったとうげ)への登りでは歩いて後ろを振り向きながら富士山を撮影していると後ろからジョガーがゆっくり走ってきて追い越していった。当方には張り合う気持ちは多少あったが身体が言う事を聞いてくれず、よろよろ走り歩いて行った。

薩土垂峠を降りるとすぐに興津かと思っていたが、なんのなんのあと2km以上もあると知り、がっくり来たが、最後の頑張りでなんとか走ってゴールまで辿り着いた。当初予定していた江尻まではここから7.1kmもある。とうてい無理だ。時間も遅いし、予定している新幹線に間に合わなくなる。ここまでで約42km。フルマラソンと大体同じ距離だ。見るところを見て、撮影もして、しかも走るのだから欲張りといえばその通り。走るか見るかどちらかにしろと言われればそのとおりと思う。しかし、ただ走る為に家の近所を42km走るのはちょっとねぇ。東海道ならばがんばれる。で、東海道を走るなら、ついでにデジカメでスナップ写真を撮りたいし。東海道を走るのは運動会系と文化会系の両方の趣味が合体したものだ。趣味だから欲張りなのだ。

ちょっと脱線した。新幹線で足首の屈伸をしているとどうも、左足の外側に軽い痛みが有る。それから右足の足首を上に向けるとうまく上がらない。これは昔サッカーをした後に見られた現象と同じだ。スネの筋肉が痛んでいるのかもしれない。ちょっと痛いというのがミソで。それが何とも半ば心地よい。ぐ~~~~っと足首をそらす。心地よい痛みがわ~~~~っと身体中を駆けめぐる。今度は逆方向にぐ~~~~~っと反らすとまた別の軽い痛みが気持ち良い。これ以上やると攣るかも知れないという微妙なところで力を緩めると快感が最大になる。工程を走り終えた安堵感と暖かさで眠くなりながらもこうして新幹線では足首を反らし続けた。他には乳首にも痛みが有る。今回着用したTシャツはバードウォッチング検定の帰りに渋谷で購入してきたものだが、前回の箱根でも同じように乳首がすれて痛かったのをわすれていた。ワセリンでも塗っておけば良かったかも。あるいはバンドエードね。楽しみの為の少しの犠牲ならばそれもまた楽しだ。

富士山を追い越す

日本橋~戸塚~小田原~沼津とだんだん富士山に近づいてきた。今回は沼津~原~吉原~蒲原~由比~興津と来たわけだが、沼津では進行方向に向かって右前方に富士山が見える。手前に愛鷹山があって少々邪魔なのだが。原も同様。ただ、だんだん愛鷹山が右にどいてくれる。吉原では街道が右に大きく迂回するあたりで、有名な左富士があり、そこでだけ富士山が真正面やや左に見える。だが道が曲がるにつれすぐに右富士に戻る。平家越えの橋あたりでほぼ真右となり、後はだんだん右後方になっていく。つまり、だいたいこのあたりで富士山を追い越した事になると思うのだ。富士川の橋を渡ったあたりではもう完全に右手後方となり、とはだんだん離れて行くのが実感できる。しかし、富士山の凄いところはこれからで、離れれば離れるほど、富士山が大きく見えて来るのだ。そんなばかな。いや、たしかにそうなのだ。
つまり、富士山から離れるほど、その手前の低い存在が見えなくなってきて富士山の高さがが際立って来るのだ。手前の邪魔な山がどんどん低くなってきて富士山がどんどん背伸びをしてくる様に見えるのだ。そして、その絶景は薩土垂峠(さったとうげ)の有名なビューポイントで最大になるのだった。

さった峠

薩土垂(さった)峠
今回のコースで一番の見どころである。海に面した山の中腹から山の斜面越しに遠く富士山(天気がよければ)、眼下には東名高速・国道一号がうねうねと狭い海岸線を通り、右手には駿河湾、その先には伊豆半島の山並みが見える。当日は天気が良かったので、幸い富士山も見られ、写真も撮れた。このビューポイントにカメラマンが二人来ていて、三脚に一眼レフを取り付けて、初対面であろうがここの構図がどうのとか話をしていた。こちとらのデジカメは描写力が低いので、遠い富士山に明るさを合わせると手前の日陰になっている高速道路は真っ黒につぶれるし、逆におもしろい形の道路に合わせると富士山が真っ白に飛んでしまって写らない。ラティテュードの高いリバーサルフィルムを使わないときれいに撮れないわけで、自分のデジカメではいつも不満を覚えるパターンである。最新のデジカメではどうだか知らないが。EOS-Kissクラスではばっちり撮れるだろうなぁ。しかし、片手に持ちながら走れるようなサイズ・重さのデジカメではまだ無理だろう。今回は、今回のコースを象徴する写真が一応撮れたので満足である。

薩た峠の「た」の文字は土ヘンぷらす垂直の垂で、別に難しい字ではない。ところが、JISにないらしくフォントはどこにもないそうだ。東海道関係のいろんなホームページでも扱いに苦慮していて、「薩た」「薩タ」「さった」などで表現したり、手ヘンに垂の別字で代用したりしている例もある。また、グラフィックスを利用して正しい字を作りだしている所もある。
こういう珍しい存在の字が地名として普通に使われているんだよね。現地では。JISなどの新しい規格が古くからある漢字を切り捨ててきたという実例だ。もし、JR興津駅が「薩た駅」だったらどうなっていただろうか。書物などの活字は問題ないだろうが、パソコンで表示できない駅名だと困っただろう。もしかしてその様な例は実際に他にあるのかも知れない。

帰りの心配

6時間半も走りっぱなしで大変な量の汗をかいたはずで、問題はその処理。今回はゴール地点の興津駅前の小さな公園を使った。この公園なぜかテープで囲ってあって、入れない様にしてあるようだったが、かまわず入ってしまった。ベンチにどっこらしょと腰掛けてひと息つく。駅には電車を待つ人々がたむろしていてまる見えだし、トイレも無い様だ。で、タオルを取り出し顔や腕、背中やお腹の汗を拭き、しばらくしてから上からジャージとウィンドブレーカを羽織る。
興津から静岡までの電車はガラガラで、田舎はいいなぁと思ったが、そこでふと自分の汗のにおいが初めて気になったのだ。むむっ!?いかん。臭いぞ。なんとかせねば。静岡駅で新幹線への乗り換えに時間があったのでトイレで顔や腕を水でしっかり洗い、一番汗を吸っていると思われるTシャツを脱いで、あったかいふわふわのハイネックをじかに着て、その上にウィンドブレーカを羽織った。これからはほとんど新幹線の中だから、ペラペラのウィンドブレーカとこれの合計2枚だけでもそう寒いことも無かろう。新幹線の中では洗面所でもう一度顔や腕を洗った。前回の小田原~沼津では沼津の千本浜公園で着替えたが、結構このゴール後の汗の処理と着替えが問題なのだ。えてしてゴール地点は人の多い場所になるので、なかなか良い着替え場所が無いのだ。日本橋~戸塚のゴール地点には丸井があり、トイレを有効に使わせてもらった。今回は実は江尻まで走るつもりだったので、清水駅前は調べてあった。西友の清水店というのがあり、大型店であるというので戸塚の丸井と同じようなトイレがあるはずだった。が、いかんせん、興津駅前は調べていなかったのだ。ま、調べていても大して違いはなかったろう。大事なのは事前の調査、しかし最後は度胸。帰りの新幹線 こだま468号帰りの新幹線の指定席は切符で確かめると12号車の15のEだった。座るとけっこう前の座席との間隔が広い。横の座席との間隔はそれほどない。新富士か三島か忘れたが、ご婦人が乗ってきてその座席は違いませんか?とのたまい切符を見せてくれた。たしかに15のEと書いてある。ま、まさか日付でも違っていやしないかと一瞬不安になり、自分の切符を取り出して見せると、なんと16のEと書いてあるではないか。あ~自分が間違っていた!謝って笑ってごまかして前の席に移動した。最初に確認した時に見誤り、それをずっと信じていたのだろう。疲労感と安堵感の中でのヒューマンエラーということ。富士山側の窓際の席は富士山がよく見える様にと思って指定したのだが、4時半を過ぎると日没で、三島あたりですぐに暗くなってしまった。疲れた果てた身体を暖かく安全、快適に、猛スピードで家に運んでくれる新幹線ってスゴイ。しかも窓の景色も楽しめるし、携帯のiモードも使えるし、飲み物やお土産まで売り歩いて来るし、もちろんトイレも洗面所もあるし。こだまは各駅停車でしかも、ひかりやのぞみの通過待ちをする為に各駅で6分とか10分とか待ちをするので、せっかちな向きには向かないかもしれない。京急で各駅停車に乗る様なもの。しかし自分にはその時こだまは最高の文明の利器だった。こだまの乗客はサラリーマンの日帰り出張帰りらしきが2/3ぐらいと見た。熱海でそのサラリーマンが大量に降りたのは何故だか分からない。熱海から通っているのか?静岡方面に?あり得ないと思うぞ。これは結構謎だ。

常夜灯

簡単に言えば今の「街灯」に相当するだろう。ただ、それだけではなく交通標識、ランドマークの役をはたしていたと思われる。しかし江戸時代にはそんなものはめったにあるものではなく主要交通路の要所要所におかれたものである。石で出来ていて洪水や地震でも無い限り長持ちする。だから今でも残っている。秋葉山常夜灯というのが吉原以降に至る所に(というか何カ所も)見られた。この秋葉山常夜灯というのは一体なんなのだろうか。秋葉山という大富豪がいたとか?何かの宗派とか?調べてみるのも面白そうだ。

道間違え

今回は初めての区間ゆえ、事前にいろいろと予習をして望んだ。「誰でも歩ける東海道五十三次」という本は手書きの地図が延々と日本橋から三条大橋までを詳細に描いていて非常に参考になった。またさんさくマップという静岡県が出しているガイドマップの該当箇所4枚は持参し、該当箇所のものを握りしめて走った。「誰でも歩ける東海道五十三次」は事前に何度も文を読み、地図のルートを目で辿るうちに間違えそうな要注意分岐点や目印、撮影すべき記念物などが自然と頭に入っていった。走る前から既に一度通ったことが有るかのような気になっていた。ほとんどの区間でそれは報われたのだが、やはり後半疲れて集中力が切れてきたころにミスが生じた。由比駅周辺だ。由比宿と由比駅は離れていて、広重美術館から道なりに行けば由比駅なのだが、その少し手前で右に折れる箇所があり、注意してなんとか電機という看板を探しながら走ったのだが、残念ながら見つからず由比駅に到達。マップをよく検討して、時間も勘案して迷った末、戻ることにした。さらに慎重に看板を探しながら走ること2分。目的の看板を民家の2階の屋根あたりの非常に高いところに発見。こんな所ではみつからない訳だ。そこから細い階段を登り車の多い道に出てさらに西に進んだ。これでほっとしたのだろう。道なりに進んでしまった。すると海岸べりの国道に合流しそうになる。おやヘンだぞと気付きマップを調べると、分岐点を見落としていたことが判明。約100m戻って右への分岐をやり直し旧道に分け入った。そこからは薩た峠への最後の区間だった。後は小さなミスが一カ所。
富士川から蒲原の間で新幹線の下を通る場所。本来の東海道は直線なのだが、新幹線に遮られてしまった為に少し手前から左に折れ迂回する。新幹線をくぐったところですぐに右に進み本来の直線に合流するべきだったのだが、迂回したまま道なりに進んでしまい本来の道を100mぐらい逃してしまった。

一番心配していたのは吉原のJR吉原駅から富士川の区間だった。曲がり角が多く要注意箇所の連続だからだ。が、探すべきポイントがしっかり分かっていたため、問題なく走ることが出来た。

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2009.12.28

ウミネコ@三浦海岸

 三浦海岸で見かけたウミネコ飛翔シーンを集めてみた。やはり鳥は地に降りて寛いでいるところよりも、翼を広げて飛んでいるところがかっこイイ
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これは下面の図。尾羽には黒帯があるが、下から見ると下尾筒のために中央部が白く見える。下面(胸部、腹部)が白く後頭部に少し黒斑があるので成鳥冬羽。オスかメスかはわからない。すぼめた黄色い足が少し見えている。
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尾羽は左右6枚づつあり両外側2枚ずつには黒帯がつながらず、T5には細い黒班があり、T6には黒はないようである。成鳥なので尾羽先端は白い。次列風切は14枚ぐらいあるようだ。初列次列背羽と同じ色でグレーは濃い。
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これは着地のシーン。初列風切は先端7枚に黒斑があるようだ。この付近にウミネコが集まっていた。足が黄色い。後方左端のセグロカモメ二羽のすぐ右にいるウミネコはくちばしの黄色が淡く、第二回冬羽あるいは第三回冬羽かもしれない。
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これはウミネコ幼鳥。第二回冬羽あたりではないだろうか。尾羽が全部黒く、次列風切先端の白の幅が薄い。足も黄色くない。
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この日はウィンドサーフィンがたくさん出ていた。この絵だけ見ると夏のようにも見えるかな。12月26日、三浦海岸にて

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2009.12.27

右足を失ったセグロカモメ@三浦海岸

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 三浦海岸で見たセグロカモメは合計で百数十ほどだったが、その中に右足が失われている個体を発見した。しばらく観察したがずっと左足一本で立っていた。ジョガーが波打ち際をゆっくり走ってきてこのカモメは飛んだ。砂浜は砂に足がめり込むので歩きにくいが波打ち際の濡れたあたりは固く締まっていて歩きやすく、走りやすいのだ。この個体はやつれたところもなさそうだし、普通に力強く飛び立ち普通に飛んで行ったので、不自由のない個体と同様に生きてゆくことができるだろうと期待を込めて思った。こういう被害は放置釣り糸などが原因と推定されるが、海岸にいた3時間ほどの間では放置釣り糸は見つからなかった(ずっと真剣に探しまわったわけではないが)。釣り糸や釣り針、その他の放置はぜひやめていただきたいものだ。セグロカモメが提訴することができるのなら、原因となった釣り糸を捨てた人間に対して巨額の損害賠償を請求することを勧めるのだが。12月26日、三浦海岸にて
追記:下の写真でミラーのある最外初列風切P10が伸びているのが見える。これを入れても黒斑のある初列風切は5枚(P10-P6)のように見える。セグロカモメは6枚が普通なはずなのに。
再度追記:下の写真をよーく見ると最外初列風切P10の下にP9も見えるので黒斑のある風切は6枚(P10-P5)となり問題なしと。12/29
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2009.12.26

カナダカモメ@三浦海岸

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 今日は朝から娘の受験の現地視察を一校案内したあと、別れてから京急で海に行ってみた。冬の三浦海岸あたりで何が見れるかちょっと不安でもあった。
 さて、夏は海水浴客でにぎわうであろう浜辺には誰もおらず、野鳥はなにもいなかった。ただ沖合にカモメ類がたくさん浮いていた。双眼鏡しか持ってこなかったので詳しくは観察できなかった。時間はあるので海岸をゆるゆると歩きながらトビイソヒヨドリハクセキレイなどを観察した。そうこうするうちにセグロカモメがたまっている場所を発見した。少数のユリカモメウミネコが混じっている。飛ばさないように慎重に近づき、観察・撮影する。地元の漁師がたぶんふだんからカモメには何の悪さもしないのに慣れているせいか、最初は警戒されていたが動かずにじっと観察しているとこちらを気にしないようになっていった。ウミネコは一箇所に固まっていた。
 そしてカモメの溜まり場を何箇所か移動した時だった。腰の低いカモメ二頭を発見した。セグロカモメに比べてやや小ぶりで背の色がやや淡い脚が短く、腰が低い感じがする。頭が前後に短く丸い形。これはカナダカモメではないだろうか。図鑑やネットでは何度も眼にしたが現物は初めて見た。残念ながら初列の裏側などは確認することは出来なかった。何年かぶりに一種増えたことになる。いや、アオシギ以来なので約一年ぶりか。三浦海岸は風が緩く、気温もそれほど低くなく、日差しは暖かかったので凍えることはなかった。ハクキンカイロを腹に入れ、手袋をして行ってよかった。しかし、ぶらりと訪れた場所で一種増えるなんて、年末になんというラッキーな日であろうか。嬉しい。12月26日、三浦海岸にて

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2009.12.25

ケヤキ樹皮裏の幼虫@新治市民の森

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 午前中、鶴見川でセグロカモメその他を観察し、午後はアキアカネの終認をしに新治にちょっと行ってみた。クリスマスイブイブではあるが、もし見つかればクリスマストンボと言ってもいいだろう。前回見つけた田圃に行ってみたが果たして、トンボは一頭も見つけることは出来なかった。午後1時ちょい過ぎで日当たりも良好だったので、居るなら活動していたはずと思われる時間帯だった。だいぶ粘ってみたが見つけられず残念。代りにジョウビタキ、カシラダカ、キセキレイ、セグロセキレイ、コサギ、ヒヨドリ、スズメ、ハジブトガラスなどが見られた。
 その後いけぶち広場ケヤキの樹皮を一枚めくってみたらなにやら小さな幼虫がうじゃうじゃ見つかった。種類は不明。チョウなのか甲虫なのかもまったく不明。こういうところにも命が折りたたまれて冬を越すのだな。ケヤキの樹皮にはたくさんの裂け目があり、多くの幼虫が越冬しているものと思われた。いったん剥がしてしまうと元には戻せないので一枚だけにしといた。
 下はカシラダカ。写りがひどいが御容赦を。初認である。12月23日、新治市民の森にて
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2009.12.24

アオサギとカワウ@鶴見川

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 鶴見川セグロカモメカワウを観察していたら、目の前を大きな鳥が横切った。アオサギだった。着地の瞬間を撮ってみた。胸や肩羽の細い羽が着地時の乱気流を表現している。翼の黒っぽい部分が初列風切次列風切。外側の初列はちゃんと10枚数えられる。次列は13枚ぐらいだろうか。カワウは首と脇に白い生殖羽の出た成鳥とそうでない幼鳥が混じっていた。12月23日、鶴見川
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2009.12.23

セグロカモメ初認@鶴見川

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 冬の鶴見川鴨居付近ではセグロカモメが少数見られる。もっと下流の綱島や鷹野大橋付近ではまとまった数が見られるが鴨居あたりではほとんど単独である。川の流れの中に露出した中洲や石の上、あるいは川をまたぐ道路の街燈の上なので休んでいることが多い。今年の初認は12月20日だった。クリスマスイブイブかつ天皇誕生日の本日は9時過ぎからポイントに行ってみたら、想定通りカワウとともに川の中ほどの露出物に止まっていた。大あくびをしたりして寛いでいるようだった。あまりにも動きがないと面白くもないので翼をしゃきっと伸ばしてくれないかなぁなどと思いながら見ていたが、羽づくろいとするぐらいしか見せてくれなかった。白い尾羽、スレート色の肩羽・背中・雨覆、黒くて白斑のある初列風切、白い三列風切、次列風切先端の白などを観察した。もうちょっとサービスしてくれてもよさそうなのになぁ。
 時間になったのでさっさと切り上げ、ららぽーとに行き、本日の任務である基督教聖夜前々日的苺甘味的西洋白菓子を調達し、無事に運搬を完了してほっとした。12月23日、鶴見川
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 午後は大山登山マラソン向けに15km走ろうと出かけたが、なぜかいきなり苦しくなり急遽10kmに短縮。出がけにミカンを食べたからか?いずれにしても心拍数が上がったのでスピードをゆるめて走ったが、どうもスピードが速かったようだ。勘が狂ったか。いろいろ調整しながら走り往路5kmが24’02”だった。復路は自分よりややスピードの遅いランナーが数人いたのを追い越したこともありスピードをちょっとあげることになり22’58”だった。快晴で気温もやや緩めで走りやすかった。今シーズン初めて手袋をして走った。
コース:亀甲橋往復、距離:10km、タイム:47’00”、平均心拍数:168、最高心拍数:188、平均ピッチ:171、ラン後体重:○4.4kg

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2009.12.22

旧東海道ラン#3小田原~沼津

旧東海道を走る#3小田原~沼津

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2003年11月16日

11/16(月)
410  起床
457  横浜線上り始発
511  東神奈川着
517  京浜東北線発
519  横浜着
527  下り東海道線発
621  小田原着
640  松原神社着
650  ★スタート
729  三枚橋 休憩5分
  ?  コンビニでお茶を買い 休憩3分
801  須雲川IC 休憩3分
830  畑宿一里塚 休憩5分
904  旧街道資料館 休憩3分
914  旧街道入り口 休憩5分
934  賽の河原 休憩2分
938  芦ノ湖 休憩5分
949  箱根関所跡 休憩5分
1010 箱根峠 コンビニで大休憩10分
1025 西坂入り口 休憩3分
1035 接待茶屋 休憩3分
1051 山中新田 休憩2分
1100 芝切地蔵 休憩1分
1107 富士見平 休憩3分
1132 馬頭観音 休憩5分
1152 錦田一里塚 休憩3分
1201 東海道線踏み切り 休憩1分
1210 三嶋神社着 大休憩9分
1219 発
1224 三石神社 信号待ち2分 踏みきり待ち2分
1237 伏見一里塚 休憩2分
1247 智方神社 休憩2分
1302 平作地蔵 休憩3分
1317 ★浅間神社にゴール 大休憩5分
1332 千本浜公園の海岸にて大休憩15分
1402 浅間神社
1417 沼津駅
1427 上り東海道線各駅停車発
1608 横浜着
1611 京浜東北線発
1613 東神奈川着
1617 横浜線発
1632 鴨居着

★RUN
小田原の松原神社から沼津の浅間神社まで6時間27分。飲食やデジカメ灯のロスタイムが87分で実質5時間ちょうどで37km。高低差約850mの上り下りももちろん含む。平均心拍数は139、最大177、ピッチは151。もちろんデフォルトで走ったのだが、上りが続いたり、急な上り(階段など)では心拍数があがりすぎないように速度を落としたり、歩いたり、立ち止まったり、休憩したりと慎重に調整しながら走った。そのせいでダメージも殆ど無く予定の沼津まで辿り着く事が出来た。さすがに最後の三嶋~沼津間はスピードが落ち、たったの7kmなのに約1時間もかかっている。信号待ちや踏みきり待ち、デジカメなどしながら休み休み走り通した。山越えの37kmは平地の42km以上の負荷があるものと思うので、これから先の(やれるかどうかは分からないが)区間では42kmでも平気だろうと思う。ただ、山越えを慎重に走るのとは異なるので、逆に言えば平地であれば自重が難しくて早めにダウンするかも知れない。ま、今回はめでたしめでたしだ。

★ガイドマップ
今回持参したガイドマップは3枚。ガイド本の文庫本も一冊リュックには入れておいたが、使わなかった。マップは神奈川県のものが一枚、静岡県のものが2枚。互いに県境を越えた辺りまで掲載してオーバーラップさせるべきなのだが、如何せん、いかにもお役所仕事らしく、「きっちり」県境までしか載せていないのだ。箱根峠の県境あたりが、迷いやすい箇所なのにだ。県境を越えるまでは神奈川県のもの、三島までと三島からで後の2枚は使い別ける。このガイドマップを手に丸めて持ち、ポイント毎にちらちら確認しながら走るのだ。昨年走ったので殆ど問題無かったのだが、今回は一カ所だけ無駄に戻ったところがある。畑宿手前の石畳から別れて県道をしばらく行き、左に降りて行く辺りがマップと異なっていたのだ。100m程一旦戻りまた戻ったので200mぐらいはロスした。これ以外には間違えたところも迷うところもなく順調にたどれた。三島から沼津の区間は初めてだったが、マップがしっかりしていて問題無かった。事前の検討では、けっこう曲がり角が多く間違えやすそうな危険な気配がしていたのだが、マップのおかげでぜんぜん大丈夫だった。

★秋か冬か
昨年に較べて時期が約半月ほど早く、まだ「秋」だった。昨年は明らかに「冬」だった。気温も昨年ほど低くなく最初からウィンドブレーカは不要だった。雪も一カ所も見られなかった。ただ、紅葉が楽しめるかなと思っていたのだが、きれいな箇所を探す余裕は無く休憩時に美しい景色に気づく程度だった。まだ時期的に早かったのかも知れない。

一番寒かったのは東海道線の電車の中での小田原直前あたりと小田原駅から松原神社までだった。日は昇っていたがまだ地面を暖めるには至らない日の出直後の時間帯だったからだろう。日が昇ると、天候も良く、暖かかった。東京で木枯らし一号が吹いたらしいが、そんなことは信じられない様ないたって穏やかな一日だった。

★富士山
富士山は全般的に雲を被っていてよく見えなかった。東京からはよく見えたらしいが。芦ノ湖では少し。富士見平ではまったく見えず。千本浜公園からもぜんぜん見えず、たぶんあちらだろうと言う方向の写真は撮ったが、家に帰ってしらべたら思っていたのとは異なる方角にあった雲が富士山を隠していたことがわかった。今回、一番まともに見えたのは黄瀬川の橋の上からだった。富士山を遮るものが少なく手前に川が入りなかなかの景色だった。しかし、歩道の無い狭い橋で交通量が多く、さらに橋の向こう側に交通整理員がいて、こちらを気にしてくれていたのが見えていたので、橋のど真ん中に立ち止まってのうのうとデジカメすることが出来ず(いやいや!やれば良かったんだよな)橋を渡ってから写したが、手前の景色が悪く満足できる出来にはならず後悔した。

★石畳
昨年は石畳が雪に覆われていて石畳の走りにくさよりも雪の走りにくさが勝っていたのだが今年は石畳自体の走りにくさを思い知った。コケで滑りやすかったり、尖っていて着地に非常に神経を使ったり、凸凹が激しいせいで脚をより高く(ほんの数センチとは思うが)持ち上げないといけなかったり、たまにぐらついている石があったり、などなど足首を挫かないように、転ばないように気をつけて走る必要があった。石畳の脇に平な部分などあるときはなるべくそこを通った。前回左足の膝を痛めて三嶋から先を断念した痛い経験があったので、今回はなるべく摺り足で膝への衝撃を少なく心掛けた。旧道を通らずに国道を通った方がはるかに走りやすく時間もかからず、神経もすり減らすことなくラクできたはずと思った。

下りの西坂の石畳では足元をよく見ながら慎重かつなるべく無駄なく足を進める。そこで次のようなことを考えながら走った。最近、二足歩行ロボットがあってころんでも起き上がる機能があるとか、いろいろ進歩しているようだが、もしロボットに自分が今走っているのと同じことをさせようとすると、3桁ほどの速いコンピュータが必要になるであろう。視覚センサーや平衡感覚、どんな地形でも着地できる精密な着地部分とその細かい制御、姿勢(重心)制御、予測機能、地面状態のデータベース....滑りやすい石畳、凸凹でひっかかりやすい石畳、まれにぐらついている石、ぐちゃぐちゃに柔らかい地面、水たまり、落葉で覆われていて状態がよく見えない道、段差がまちまちな階段、飛び飛びの石の頭を踏んで行かなくてはならないような荒れた道、草ぼうぼうで足を運ぶのに抵抗のある道....こういういろんな条件の道をキロ7分つまり秒速2.4メートルで転ばず挫かずに安全に走るのは相当に高度の処理が必要なのだぞ。人間は景色をちらちら見ながら、デジカメをしまいながら、こういう余計な事を考えながらこうして走れるのだが、ロボットにはまだまだ10年は無理だろう。いや100年か。いや100年後は分からないなぁ。ここで、どんな道でもキロ7分で走る事のできる二足ロボットが箱根の山を一人で黙々と走っている状況を想像して、少しぎょっとした。で、出会いたくないぞ。そんなロボットには。(^^;

★食料
今回の食料はおにぎりとあんパン。あんパンは袋に5個ほど入っている小さめのもの。これを数度に分けて食べる。旧街道資料館から10分の旧街道入り口に腰を下ろして休み、あんパンを袋を開けようとしたら、なかなか破れず、エイヤッ!と力を入れたところあんパンがふたつ飛び出して足元の濡れた泥土の上に落ちた。ひゃぇぁあぁ~。しかし、もちろん泥を手でぬぐって食べた。多少じゃりじゃりしたが。死ぬ事はないだろう。箱根峠のコンビニでも似たようなあんパンを買い途中で食べた。おにぎりが合計4個。あんパンは合計8個。お茶はペットボトルで合計3本。飴も持っていったが、今回はひとつも口にせず。塩は持って来なかった。水は松原神社、三嶋神社の手水所でもごくごく飲んだ。沼津では家系ラーメン沼津家(たしか)の横を通りすぎた。腹も減っていて、水分も塩分も油分も糖分も体が激しく欲していたし、あの家系独特のスープの匂いに一瞬立ち寄ろうかと思ったが、ここで止まったらラスト1キロは走れなくなりそうで泣く泣く断念したのだった。こういう一種の飢餓状態の時にはたいがいのものはすばらしく美味しく感じるものだ。

★神奈川vs静岡
箱根峠で神奈川県から別れ静岡県に入るのだが、そこで両県の東海道に対する思い入れの違いをまざまざと見せつけられた。神奈川県側には殆ど案内も無いのだが(ま、大観光地である箱根なのでそれほど必要ではないが)静岡県に入った途端に、これでもかというぐらい親切な案内板、トイレ、説明板があちこちに有る。また昨年は藪こぎで大変な思いで通った西坂入り口も、今年はきれいに藪が整備されていて、すんばらしく走り易くなっていた。これには★大感謝★だ。また、間違いやすそうなポイントには必ず案内があるようなっていて、まるで東海道フリークが設計したのかと思うほどだ。この親切は三嶋神社まで続いた。静岡県というよりは三島市教育委員会と言った方がかも。

★出会い
箱根の関所は現在工事中で、なにも見るものが無かったのだが、最小の時間で一応説明板等を見ていたのだが、それでも結構な観光客がうろうろとして賑わってはいた。その時、「あなた!ほら!#$%&*+*/よ!」よく聞き取れず。振り向いてみると見知らぬ初老の夫婦が、まるで旧知の友にばったり出会ったかのようなにこやかかつ驚いたような表情で自分を見つめているではないか。え!?自分の事!?はて?誰だろう?一瞬考えたが、知らん。この人達を自分は知らん。とすぐに検索結果は出た。その夫婦が言うには、自分が走って箱根を登っているのを車から見かけたとの由。どこで見たかは聞けなかったが。で、その自分にばったり出会ったので驚いているのだと言う。小田原から沼津まで走る予定である旨を説明したら、よく登られましたね。気をつけて頑張って下さい。とねぎらわれ手を振って別れた。なんか嬉しい出会いだった。よしがんばろうと思った。

山中新田あたりで東海道ウォーキング隊に遭遇。どうも箱根に向かっているようだ。大きな旗を立て中年から初老の男たちが縦隊でぞろぞろ歩いていく。おそろいのオレンジの帽子をかぶっている。みな疲れた様子で足取りも重い。列の最後の方の元気そうな男に声をかけてみた。どちらまで?するとえ~とと考えてから、最終的には東京までなんですがねぇ、今日は箱根まで。そうですか、自分は朝小田原を出て沼津まで行きます。ほう!。頑張って!と言って手をパチパチ叩いてくれた。お互い手を振って別れた。別れてしばらくして、遅れた一団とすれ違った。相当疲れた様子だったので、これから相当登るはずなのに大丈夫であるか心配になった。

★ゴール後
千本浜公園は広大な松林とすんばらしい海岸線からなる公園で若山牧水の石碑があった。駿河湾をはさんで左に伊豆の山々、右には東海道に沿って都まで続く見事な海岸線。丸石だけからなる珍しい海岸におりて波打ち際で波と遊ぶ。砕けた波が石の間にスーっと吸い込まれるのは生まれて始めて見る現象だった。公園のベンチで最後のあんパンとおにぎりを食べ、ウィンドブレーカとジャージをはいて荷物の整理をして沼津駅までとろとろと歩いて戻った。

ちょうど良い始発の東海道線がホームに待っていたので乗り込み、足首をグリグリしながら心地よい痛みを楽しんでいると眠くなり、横浜まで半分ほどうとうと寝ていた。ボックス席に乗り込んできた初老のオバサン二名おじさん一名の会話を聞きながら。窓に預けた腕をまくらにしていると時々腕がしびれた。左目あたりにパルスグラフに押しつけた跡がついていた事に夜になって気がついた。

★野鳥
箱根の芦ノ湖手前あたりでガビチョウという鳥を何度も目撃した。この鳥はカゴ脱け鳥が何故か繁殖して広まったもので首都圏では丹沢などで近年、相当数分布するようになってきた鳥だ。なかなか人を恐れぬ鳥で、口笛でイカルの鳴きまねをしてやると3mほどまで近寄れた。じっとこちらを観察していた。お互いさまだが。目の回りに白いリングがあり続けて後ろに流れていて目立つ。大きさはツグミぐらい。カゴ抜けのくせにデケーつらさらすんじゃねえぞとも思ったが、ま、こいつ自体に罪があるわけではない。これもやはり人間さまの業のせい。ついでに言えばこの鳥は初見だった。

ジョウビタキがたくさん鳴いていた。特に畑宿あたりまでの上り区間。芦ノ湖から箱根峠へ通じる向坂は寂れて殆ど人の通わぬ通りだがそのせいで野鳥が多く昨年はキジを目撃したが、今年はアカゲラかアオゲラ、ウズラの群を見ることができた。大型キツツキはピョー!ピョー!ケケッ!ケケッ!という鋭い声を出し、すぐ近くの木の幹から飛び立った。重量感のある動きだった。

沼津の千本浜ではトビが多く、頭の真上を悠々と飛び交っていた。海にはカモメらしき姿も散見されたが遠くてよく分からず。駿河湾は船で探鳥するとかなりの珍しい鳥が見られる場所だ。

★JR
鴨居から小田原まではSUICAでスイスイ通過出来たのだが....帰りでも沼津駅の改札でSUICAを使って入ろうとしたら、どの改札もSUICA対応になっていなかったので、しかたなく券売機で鴨居まで切符を買おうとしたら、横浜までしかない。またまたしかたないので横浜までの切符を買って乗った。ここの駅は「JR東海」だからであった。新幹線でもSUICA使えないのと同じ。戻ってから鴨居の駅で清算した。1890円。よく考えたら、定期があるので東神奈川までの料金で良かったのではないだろうか。するとそれは1620円だ。270円無駄に払ったことになる。ちょっと間抜けだった。三島から新幹線を使うと3570円で40分早く着く。小田原から小田急に乗れば1520円で帰着時刻は同じだ。ただ、今回は疲れていて眠かったこともあり、乗り換えなどする気にもならなかった。

それから、小田原駅の改装工事がだいぶ終わっていて、改札が2階になりだいぶまともになった。トイレやロッカー、売店など良くなった。以前は小田急の改札を出た後にJRの改札を出なければならないという、理解出来ない構造で、毎回困ったものだ。小田急側の改札がどうなっているのかは確認しなかったが。JRは小田原まではSUICAが使えるのでJR東日本だと思うが、熱海か函南あたりが境界になるのだろうか。

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2009.12.21

ジョウビタキ♂@新治市民の森

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新治市民の森ジョウビタキ♂を近くから見られた。顔を真正面から見ると結構細く、特に眼の部分で狭まっている。折り畳んだ翼の白い部分がよく目立つが、これは次列風切の基部。それにしてもジョウビタキの体形はまるっとした卵型だ。羽衣を除外してもそういう体型なのだろうか。今シーズンはまだ青い鳥は目撃していない。常連さんによるともうすでに見られているようだが。この日はすごく寒く、新治には分厚い手袋をして黒王号で行った。あちこちで霜がおりたのが溶けてぐちゃぐちゃしていて歩きにくかった。帰宅後まったく気づかぬままに玄関にかなりの泥を持ち込んでしまい一悶着あった(泣笑)。12月19日、新治市民の森にて
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2009.12.20

負傷ホオジロ♀@新治市民の森

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 新治市民の森でトンボを探していたら、足もとから突然小鳥が飛びだして斜面に移動した。足元と言っても本当に足元で、自分の足から20cmぐらいのところだったのでこちらが腰を抜かしそうになったし、そんなに近づくまで気付かなかった自分にも多少傷ついた。普通こんなことはありえない。双眼鏡で確認したらホオジロ♀だった。だがなんだか様子がおかしい。近いのに逃げないで隠れるようにじっとしている。しばらく観察するうちに顔面の右側に負傷していることが分かった。羽毛が禿げていて肉色の肌が見えていた。右目はつぶれているようだった。ただ左目は無事のようだし、翼などにも特に負傷はないようだ。しばらく観察していたら、少し飛んでゆるゆると餌をとり始めた。動きがやはりぎこちない。この後どれだけ生き延びられるかは非常に心配である。猛禽に襲われたのかもしれない。寒いけれど頑張って冬を越してほしいと願った。12月19日、新治市民の森
R0013602
日曜日は天気が素晴らしかったので、午前中に久しぶりのラン。手術後で2週間ぶりなので慣らしとして10km。日産スタジアム往復とした。右手首の傷痕は昨日からバンドエイドにスケールダウン。なるべく気にしないように走った。左足のふくらはぎはまったく問題ないし、足底筋膜炎もないし、頭痛もないし、歯も痛くないし、両膝とも問題ないし....とか体のあちこちを意識し、右手首も特に痛みはないし走っている分には全く問題ないことを確認した。日当たりは強烈で暖かいのだが、空気は非常に冷たい。テキトーなペースで走るとキロ5分20秒ぐらいでおちついた。往路は26分32秒。復路も同程度で走り26分15秒だった。ま、特になんの問題もなく走れたので良しとしたい。そろそろ大山登山マラソンの練習を本格的に始めねばならん。
コース:日産スタジアム往復、距離:10km、タイム:52’47”、平均心拍数:157、最高心拍数:189、平均ピッチ:166、ラン後体重:○4.0kg

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2009.12.19

まだまだアキアカネ@新治市民の森

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金曜日に右手首の抜糸をし、自転車に乗る気もでてきたので3週間ぶりにトンボの終認をしに新治市民の森に行ってきた。タイミングを見計らって10時頃出かけた。前回11月28日にアキアカネを見かけた田圃に行ってみたら、すぐに見つかった。やはりまだ生きていた。最初見つけたのはなんと落ちていたコンビニのビニール袋の上だった。南向き斜面の一帯付近で一番白いものだった。張り付くようにとまっていた。ゆっくり近づくと俊敏にパッと飛び立ってしまい、見失ってしまった。だいぶ探したが見つからない。そこでアキアカネの気持ちになって一番好きそうな場所を探って見た。南東向きで暖まっているところ。風を避けられるところ。見晴らしがよく餌がよく探せるところ。そこで南向きの垂直のコンクリート壁を検索してたら、見つかった。垂直に止まっていた。白っぽいコンクリートは暖まっていたのだろう。腹をコンクリートにくっつけていた。アキアカネ♂。餌になりそうな小さな昆虫はたくさん飛んでいた。まだ餌には困らないようなので、寿命は気温によるのだろう。この日のトンボはこれ一頭だけだった。仲間も♀も姿を消して寂しいだろうな。二枚目の写真は真上から見下ろすように撮ったもの。あと5日間生き延びてくれればクリスマストンボであるが、どうだろうか。12月19日、新治市民の森にて

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2009.12.18

バン、オオバン、カイツブリ@泉の森公園

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カモに混じって餌捕り合戦に参加していたのはオオバンカイツブリバンはアシからあまり離れないようだった。カイツブリは餌捕り合戦に参戦するときは首をしゃきっと伸ばしていて、首を縮めている普段の姿とはちょっと違う印象だった。3枚目はカイツブリ成鳥で4枚目はくちばしの黄斑がないので若鳥。体がだいぶ小さいのに元気に餌めがけて飛び込んでいた。オオバンももちろんカモに張り合っていた。12月12日、大和市、泉の森公園にて

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2009.12.17

コガモ@泉の森公園

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コガモの♂と♀。他のカモに比べて二回りほど小さい。餌取り合戦には参加していなかった。下はおまけのイイギリの実。水車小屋の上に真っ赤な実がたわわに実っていて非常に目立っていた。その割に実を食べにくる鳥はいないようだった。おいしくないのかそれともまだ食べごろではないのだろうか。公園をぶらぶら一周歩いてみたがコンパクトだがなかなかいい環境のようだった。12月12日、大和市、泉の森公園にて
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2009.12.16

旧東海道ラン#2戸塚~小田原

旧東海道を走る戸塚~小田原

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2002/5/5(日)
早朝5時20分にパルスグラフのワンタイムアラームで目覚める。妻を起こさないようにそっと起き出し、ピアノの部屋で身支度を整える。冷たいお茶と、飲むヨーグルトを一口。これが重要なのだ。前日の買物で用意していたおにぎり一個とみにあんパンひとつをさっさと食べ、5時40分に出発。

5時55分の電車に乗り東神奈川で京浜東北に乗り換える。横浜に6時14分。6時18分の横須賀線に乗り戸塚に6時30分に到着。すばらしい連絡。すべて座ってこれた。改札を出る前にまず、自然のお呼びがありトイレに。ついでに着替えも済ませて改札を出る。またもやSuicaが威力を発揮。切符を買わないでよいということがこんなに楽なこととは。駅前の丸井にでるが、地面に下りるのに少し戸惑う。

前回のゴール地点にてパルスグラフをシャキーン!(そんな音は勿論しないが)とセットし、ウェストバッグに塩や小銭入れを入れて準備万端。踏み切りにはなんと車止めがしてあり夜間は通行止めなのだろうか。ちょうど踏み切りが上がったところで深呼吸。スタートボタンを押して出発だ。

天気は晴れ。だが前日からの強い風がまだ吹いている。戸塚のメイン通りはまだお目覚め前。シャッターの降りた商店街を通り抜けていく。富塚八幡裏の緑地からしきりにウグイスのホーホケキョが聞こえる。なかなかいいもんだ。ゆるやかだが長い坂(大坂というらしい)を登ると国道1号と合流する。朝早くから湘南方面へ向かうレジャーのバイクや車が多い。風が真正面から吹きつけてくるため、とても走りにくい。一日中これでは相当辛いことになりそうだ。目にゴミが入らないように帽子を深くかぶる。

道なりに走り、左への分岐を気にしながら、鉄砲宿という由緒ありそうな地名を通り過ぎると遊行寺につく。境内では早くも故物市のようなものの準備が始まっていた。約ニ里走ったことになるので小休止とする。きちんと参拝し、座り込んでおにぎりを食べ、用意した塩を舐め、水分を補給して約5分半。ラップを刻むと53’28。すぐに出発する。藤沢橋ではなく遊行寺橋を渡り、こちらが本当の旧東海道なのだと自己満足する。

藤沢

ここからはほぼ西に向けて走ることになる。北側にたぶん清掃工場のものであろう高い煙突を見ながら藤沢の街中を抜ける。途中橋の下を鉄道が通っていた。しばらく考えて、小田急江ノ島線だろうと思った。途中で有名なおしゃれ地蔵があったがそれと気付いただけで0.1秒も止まらずに走り抜ける。

茅ヶ崎市に入ると赤松町とか小和田とか、由緒ありそうな地名となる。松林中学というのがあり、さすが東海道だとか思う。東陶の工場の前で入り口に「トイレのご相談承ります」とあるのでトイレを貸してもらおうかと思い、見ると守衛が二人居た。しかし、意味が違うなぁと思い当たった(笑)。茅ヶ崎を過ぎ、そろそろまたニ里になりそうなのでコンビニを探す。ファミリーマートがあったので小休止。お茶とおにぎりを買い、あんパンを食べ、お茶を飲み、塩を舐め、4分で再出発。ラップを刻むと56’55。累計で1:50’24だ。

右にカーブするあたりで左富士が立派だ。くっきりとした富士山はかなり近く、感動を覚える。だんだん近づいているぞ。馬入橋は長い橋だ。川面をジェットスキーのようなものが走っている。寒川神社の山車を積んだトラックがゆるゆると進んでいて交通を完全に邪魔している。後ろには観光バスを初めとする車が数珠つなぎだ。今日は5月5日。なにかの祭りなのだろう。太鼓をどんどこたたき、リズムが良い。右手には大山がだんだん目立ってくる。古くから大山詣では鎌倉や江ノ島、金沢八景と並んで関東一円からの大観光名所だったという。いつか行ってみたいものだ。

平塚に入るとあちこちで同じような山車が出ている。近所の子供がパジャマのまま走って来て百円玉か何かを渡して、変わりにニラの束のようなものを受け取っていく。平塚のメイン通りにも商店主達がまだかまだかというように山車を待っている。街中をすぎたあたりで国道を渡って右側の脇道に逸れる。旧東海道だ。が、すぐに国道に合流する。

大磯

花水橋を渡ると、老夫婦が地図を手に手に散歩している。たぶん旧東海道を辿るのだろう。な~んか嬉しい。目の前に高麗山(こまやま)が迫ってくる。右側にいい感じの道がある。化粧坂(けわいざか)だ。JRにぶつかり、残念な事にトンネルで線路の下をくぐることになる。もう大磯だ。すてきな松並木を過ぎると国道と合流し、しかしややせせこましい道となる。コンビニを探すが、なかなか無い。仕方ないので自販機でお茶を買い、大磯局前のバス停で小休止。すぐに出発するとコンビニを発見。すかさず入り、ペットボトルとおにぎりを購入。50’52”。気温がどんどん上がっているためか全部飲めてしまった。この辺りから日差しを気にしながら走ることになる。蒲鉾屋かなにかの古い店に観光客が溢れている。何を買おうとしているのやら。有名店なのだろう。

旧道への脇道があるはずなので注意して右側を走る。が、それらしき別れ道が無い。大磯城山公園のあたりで右に別れる道を発見。しかし、立派な道路だ。旧道の臭いがしない。走りながらどうしようか迷っているうちに真っ直ぐに行ってしまう。左手に大磯ロングビーチらしきでっかいホテルが見える。ところどころ松並木があり雰囲気は良いのだが、真夏のような直射日光を遮るものが少なく、かなり体力を奪われていく。走りながらときどき大きな松の幹にタッチしてみてエナジーをもらおうとするが元気は湧いて来ない。

二宮を駅の近くのコンビニでまた小休止。お茶を買ってトイレを借り、ぱんぱんに膨らんだ膀胱を空にした。すっきりしてから店の前にどたっと座り込んで、ミニあんパンをお茶で流し込む。だいぶ疲れて来た。藤沢以降は風は止まったが、とにかく暑い。43’17。だんだん次の休憩までのスパンが短くなって来た。まずいぞまずいぞ。湘南の海が近い。青くとても綺麗だ。波が白いしぶきを上げている。そして西湘バイパスがそのすんばらしい景色を台無しにしている。時間があれば海に足をつけて休んでみたい。しかし、あの波ではそれどころではなさそう。もともと海は恐いのだ。

小田原

国道の面白味の無い道をとにかく走る。押切坂という旧道はその雰囲気ですぐにそれと分かったので分け入り、しばしの旧道を楽しむ。だんだん大きくなってくる箱根の山々に向かって走る。が、全身の疲労感と太陽の日差しが気力を奪い取っていく。国府津の近くで我慢できなくなりガソリンスタンドに駆け込む。自販機で水分を補給し、塩を舐め、ソファでしばらく休む。が、4分で再出発だ。34’11。ガソリンスタンドを使うのは初めてだ。店員に手を振って感謝の意を表して走り出す。いつの間にか小田原市内に入っていた。

せめて一里(約4キロ)は走ろう。次の休憩までに。歩くのだけは我慢しよう。とそれだけを念じながらゆるゆると走る。酒匂川手前でちょうどよさげなガソリンスタンドがあり、またまた利用する。店員に自販機ありますかと聞いてから中に入る。水分を補給し、スタンドに座って疲れた足をブラブラさせて休足し、また4分で出発。洗車を依頼してご本人たちは休憩中の夫婦らしき二人連れが先客でソファに座っていたが、ガソリンスタンドに突然表れた異様な風体の男に驚いていたようだった。が、気にしない。気にする余裕も無かった。店員に聞くと小田原城まではあと3~4キロぐらいとのこと。よし最後のひとっ走りとがんばって走り出す。酒匂川のでかい橋を渡ると、道は大渋滞していた。小田原、箱根方面への観光客だろうか。

神社の御輿があちこちに出ている。もう少しだ。新宿交差点を左に入り、すぐに右折するのが旧東海道だ。しばらく行くと右手に松原神社が見えた。吸い込まれるように境内に入り、パルスグラフのストップボタンを押す。22’49。あ~~~。やっと着いた。力の入らない指で家族と親族の分のお賽銭を取り出し賽銭箱に落とす。しっかりと参拝し、今日の無事を感謝する。木陰に座り込んでしばらく休憩する。11時32分だった。

松原神社

手と顔を念入りに洗い、熱を冷まし、喉を潤す。子供が来て隣で水を飲む。うまいなぁ。と、なぜか共感しあう。インスピレーションというか、交わした眼差しで、ぴったり来たのだった。不思議な感じ。その子は「夏は水が旨いなぁ」と言うので「ほんとにそうやな。」となぜか関西弁ふうに応えた。お互いににっこりして別れた。自分も相当うまそうに水を飲んでいたのだろう。頭にも水をかぶりゆっくりする。本当はここでゴールするのではなく、箱根湯本手前の三枚橋(さんまいばし)あたりまで行けたら行きたかったのだが、この予想外の暑さに、そんな思惑はぶっ飛んだ。もう十分に疲れた。今日は終わりだ。

あちらこちら祭りで一色の街中をゆるゆると小田原駅まで歩く。けっこう距離がある。駅に着いたのは12時ちょい前。時刻表で上りの快速アクティーが12:22にあるのを確認して地下街に下りる。トイレの洗面所で顔や腕や首筋を念入りに洗い、タオルを使って汗を拭き取り、ジャージとウィンドブレーカーをはおる。暑いが仕方がない。ソフトクリームを買いベンチで食べる。10分前になったのでSuicaを使って改札を抜けホームに上がる。休日の真昼だというのに上り電車を待つ客が結構多い。22分のはずのアクティが24分ごろ来て、うまく座れる。

ちょうどよいことに向かって左側のドア脇の席に座れた。車内はきつめに冷房が入っており、ジャージとウィンドブレーカーでちょうど良かった。外の景色を眺めながら、小一時間で横浜に着く。5時間近くもかかって走った距離なのに。ちょうど横浜線の直通が来てがらがらだった。ナイスタイミング。家に着いたのは13:45頃だった。

最後に本日のまとめ

距離 約40キロ(もうすこしあったかも)
タイム 4:50’02
平均心拍数156 最大200 平均ピッチ163
ロスタイムは休憩が合計で30分ほど

今回は予想外に気温が高く、辛かった。また旧道を辿るのを2箇所は失敗していて、ガイドブックあるいは地図を持って走るべきであったと反省する。なるべく荷物を軽くするためにガイドの文庫本さえも置いて来たのだった。やはり事前にいくら覚え込んだつもりでも、実際に現場では迷う。具体的な交差点の名前などを覚えてなくては確信を持って道を選べない。特に疲れて頭が働かないような場合や気力が失せてとにかくゴールしたいだけになってしまった場合には新道(国道)をまっすぐ行ってしまいがち。後で後悔することになる。

今回は塩をラップにくるんでウェストバックに持っていった。休憩の度に一舐めしたので、たぶん塩分不足によるダメージは少なかったかと思う。これからもっと暑くなるので、次回からも欠かせない。

次回は小田原から箱根を上って三島に下りる、いわゆる箱根八里の山越えとなる。権太坂さえも走って上れなかったのだから、その8倍もある箱根の山は歩きになるだろう。しかし、急坂以外はなるべく走ることとしたい。ゆっくりでも。距離は八里だから約32キロとそう長くはない。いままで通りに普通に走れば3時間半。が、歩きの時間が長くなると、やはり5時間ぐらいかかるかも知れない。いつ実行できるかは妻のご機嫌にかかっている。雰囲気づくりと日頃の行いに気をつけることが肝要だぁ。

★これまでの累計
日本橋~戸塚~小田原
距離 81キロ
時間 9:59’19”

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2009.12.15

マガモ♀@泉の森公園

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 泉の森公園の池ではアメリカヒドリだけでなく他のカモもかなり近かったので撮影した。これはマガモの♀。地味だがやや赤っぽい淡褐色は目立つ。嘴の配色(黒とオレンジ)で確認できる。
 下はおまけ(笑)の♂。嘴先端に黒い部分があり、嘴爪(はしづめと)いう。その下は三羽並んでいて、何故か首の向きをシンクロさせていた。背景に黄葉が写っていて嘴と同じ色である。12月12日、大和市、泉の森公園にて
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2009.12.14

アメリカヒドリ♂@泉の森公園

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 右手首の手術(神経鞘腫)をした後でまだ抜糸してない状況。傷口はガーゼで覆われ、透明シート(防水透湿)を張られていて大量の汗をかくことが出来ないので運動禁止の刑期中。そういうわけもあり土曜日は久しぶりの遠出(それほどの距離ではないが)をして大和市の泉の森公園に行ってみた。自転車で行くこともできないので、大人しく横浜で相鉄に乗り換えて相模大塚駅から歩いた。出掛けに地図をデジカメしておいて現地ではそれを見ながら歩いた。
 池には各種のカモがいた。見晴らしの良い場所から丹念に探していったが、目的の鳥は見つからなかった。マガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、コガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ、カルガモ。それにオオバン、カイツブリ、バンなど。葦があり、中で休んでいるカモもいて、よく見えないのがいたので、ゆっくり時間を使って観察した。ときどき餌やりをする人が現れるとわさわさと水鳥が集まってくる。
 そして池の向こう側で餌やりが始まった時にアメリカヒドリ♂を見つけたのだった。餌やりにすごく積極的に参加していて、激しく争ったりしていた。なんというヤツだ。池をぐるりと回って近寄ってみた。白っぽい顔に緑色の模様。赤葡萄色の胸から脇。比較的珍しい野鳥なのにこういう態度を見せられるとちょっとがっかりしてしまう(勝手な思い込みあるいは、勝手な期待ではあるが)。でもその行動のおかげで見つけることができたので痛し痒しでもある。他にはアオサギ、ハイタカ、ワカケホンセイインコ(たぶん)、カワセミ、コゲラ、シジュウカラ、メジロ、ヒヨドリ、ムクドリ、ホオジロ、スズメ、ハシブトガラスなどが見られた。12月12日、大和市、泉の森公園にて
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2009.12.13

神経鞘腫手術記その2

その1の続き....(その1から読まれることをお勧めします)

右手を固定します。ハイ。強力なゴムベルトのような物で上腕からぐるぐる巻きにされるような感触があった。強烈な締め付けだ。天井のライトは中央にも一眼あるので正確には7眼である。これが自分の右手を照らしている。その他にはいくつの眼が我が右腕を見つめているのだろうか。いま、世界の中心はわが右手首である。ただ自分から見えるのは天井と点滴パックとチューブと部屋の左側だけで、自分はカヤの外である。視界の外の右側にスタッフ全員が集まっていた。右手に麻酔しますのでチクッとします。あ、やっぱり。ハイ。押しピンを押しつけられたような痛みが走る。針が太いのではないかと思った。もう一カ所します。え?ハイ。チクッ!。痛い。もう一カ所です。えぇ~?3か所かよ?ハイ。チクッ!。痛い!。最後です。ひえ~4カ所も?ハイ。チク~!。チクッの後に押しつけるような圧迫を感じ、とにかく痛かった。麻酔は4か所で終わったようだ。そしてすぐに右手の手首から痺れだし、指先、ひじと感覚が無くなっていき痛みも嘘のように消えた。そして、代わりに左腕の点滴が痛かった。

足元が暑く感じたので足首をもぞもぞさせて毛布をうまいこと動かし、隙間を空けて外気を取り入れるとすーっとして気持ちよかった。これは手術スタッフの目下の関心事には関係なさそうなのでいちいち報告せんでもいいだろう。それよりも緊張のせいで胸のあたりにもじっとり汗をかき始めたような気がしていた。胸に汗をかいたので拭いてくれと言ったら拭いててくれるだろうか。いかんせん、右手も左手も動かせない張り付け状態なのだ。が、看護婦さんたちも忙しそうだし、心電図のなんとかも外すのは大変そうなのでここはひとつ我慢することにした。我が右手には、見えないが主治医ともうひとり若い医者と看護婦が取り付き、どこを切ったらいいか相談しているようだった。ここに血管が通っているとかそんな会話が途切れ途切れに聞こえていたが、気持ちの悪いことは聞きたくもないのでわが視界で唯一動きのあるものつまり点滴の落ち具合に集中しようとする。ちょっと速いんではないか。空気のちいさな泡がチューブを下りてきて自分の血管に入って死ぬことにならないようにしっかりと監視しよう。すると看護婦が左側にやってきて自分の目線にあわせてしゃがんだ。もう麻酔が効いてますよと教えてくれた。

右手側の会話の断片から、もう切開されているらしいことが察知された。え?まったく何も感じなかった。麻酔って素晴らしい。小声で話し声がしていたがはっきりとは聞こえなかった。まな板の上の鯉だから、もう後は待つしかない。自分の心拍らしいとやっと気づいたピッピッピという音に耳を澄ます。いまの平均心拍数はいかほどだろうか。安静時は48とかなのだが今は小鳥のように80ぐらいいっているだろうか。音楽は場違いな感じがしてなんたる偽善などという言葉が浮かぶ。右腕はものすごい圧力で締め付けられていて、やがて逆襲して来るであろう強烈な痺れがただでは済まないことを予感させている。時々深呼吸をしながらひたすら時間が過ぎるのを待つ。足首がまたグイーンと締め付けられる。いま、血圧どれくらいなのだろうかなどと考える。右手側には細かい動きがあるのが少し感じられ、なにかが施されていることが分かる。ただ痛みは全く無い。主治医は若い医者にいろいろと説明しているようだった。ときどき、おーとか、なるほどとか、デジカメ?とか、ですねとか断片的に聞こえていた。冷静沈着に仕事をするプロの会話だった。とにかく自分の患部について非常に真剣かつ慎重に、協働して仕事をしてくれていることは分かったので後は(というか最初からだが)すべてをお任せしますのでどうぞよろしくお願いしますと祈るように念じた。だんだん意識が薄れてきて眼を閉じていた。点滴は抗生物質だけで睡眠薬は入っていないはずだが。

どれほど時間が経ったか分からない。足首の血圧計がときどき5分の経過を教えてくれるが何回目の5分だかさっぱり不明。ぎりぎりと圧迫された右腕はもう果てしない時間の拷問に耐えているようだった。まだ生きているのだろうか。自分の心拍が聞こえる。ピッピッピ...やがて右手側で張り詰めていたものが一気に緩和したような雰囲気があった。看護婦が左側に来てしゃがみ、無事に取れましたよと報告してくれた。ハイ、ありがとうございました。縫合が行われているような気配を感じながらふたたび足首の血圧計がふくらむのを感じた。もう30分ぐらい経ったのだろうか、右腕をぐるぐる巻きにしていたベルトがほどかれた。右腕を拭きます。ハイ。冷たい物で右腕の裏表が清められているようだった。血がどばどば出たのだろうか。いや右手が乗った台は普通のベッドと同じ素材だったはずなので大量出血は想定してないはずだ。縛りが外されると、思った通り右腕全体に強烈な痺れが襲ってきた。それから、始まりと同じようにいろんな手が伸びてきて胸のセンサーや指先のセンサーが外され、足首のもの、目隠しなどが次々に外されていった。主治医が起きれられるならもういいよと言ったが、看護婦が、点滴を最後まで落としたいのでもうしばらくそのままでと言った。どっちが偉いんだか。ハイ。点滴のパックにはまだ1/5ほどの液体が残っていた。手術室はこの後の時間は空いているので大丈夫なんだそうだ。ま、何度も後回しにされたから役得かな。というわけで点滴が落ちきるまでそのまま寝てしばらく休んでいた。やっと終わったんだぁ。右手はがんがん痺れまくっていてまったく動かなかった。

かかっていた音楽はエグザイルであるとなぜか突然分かった。点滴が落ちるのを眺めながら深呼吸。小さな泡はチューブの上の方に張り付いたままだった。主治医が右手側から現れ、透明のフィルムケースのような容器を見せ、ほれ、こんなにきれいに取れました。セーケンに出すので10日ほどで良性の物か悪性の物か分かります。まぁ、たぶん悪性ではないと思いますが。見るとイクラ程度の大きさ、形で、色が白っぽい肌色の丸い物体がホルマリンらしき液体の中に浮かんでいた。ひやー、こんなのが取れたんだぁ。ありがとうございました。

右手が指先から徐々に感触が戻ってきた。勇気を出して少し動かしてみると親指も人差し指も少し動いた。見ると右手首から先が包帯でぐるぐる巻きにされていた。我が右手は妙な形のまま固まっているようだった。しばらくすると点滴が終わったらしく、テープがべりべりはがされ左腕の針が抜かれた。抜くときもちょっと痛かった。針の痕にはちいさな絆創膏が貼られ、圧迫するテープも貼られた。手首の最初の箇所も同じようにされていたので二箇所だ。

すべてのくびきから解放され、ゆっくり起き上がれますか?と看護婦が優しく言うので、元気なところを見せてやろうと、一気にがばと起き上がった。が、なぜか力が入らず起き上がることができず、一旦ベッドに倒れてしまい、再度ゆるゆると起き上がり直した。あぁ情けない。すこしフラフラした。右手はガチガチ、左手は痛いしで両手をカモメのように持ち上げたままゆっくりとベッドを降りると、高齢の老人をいたわるように両側から看護婦が手を伸ばして支えてくれた。いたわられるっていい感じ(笑)。今後はお年寄りには優しくしようと誓う。

手術室の入り口まで来ると、なつかしい外来の看護婦二名が待っていて、お疲れ様でした、と心配そうに迎えてくれた。おぉ、私を待っていてくれたか。無事生きて戻ったよ。待ってくれる人がいるって嬉しい。手術室側の看護婦と何やらの儀式を執り行ってから無事に引き渡され、かぶっていたキャップが外され、ふらつきながらも霊安室へ通じる、いや外来に通じるエレベータにうやうやしく通されて移動した。右手の指先は動くようになっていたので、少しだけ動かして見せてタフなところを強調しようとしたが、あまり受けなかった。右の手のひらにはヨードチンキのような悲惨な色の拭き残しがあった。血液ではないだろうな。

整形外科外来の処置室に戻り、不自由な右手に苦労しながらなんとか着替えた。患部は常に心臓より上に位置する必要があるということで三角巾とやらをしてもらった。これも生まれて初めての経験。自分では着れないので看護婦にコートを着せて貰った。三角巾をしているのでファスナーをぜんぶ閉めることが出来ず下半分だけしめてもらった。そこに主治医が突然登場してきて、ほれ、こういう感じだったんですよと言って、写真を見せてくれた。そこには一文字にぱっくりと切り開かれた我が手首がもろに写っていた。一番見たくて、しかも見たくなかった絵だった。開かれた患部は左右から何かで引っ張られて菱形にぱっくり開いていた。真っ赤な肉の真ん中に白い神経のスジが通り、中央にぷっくりとしたまん丸い球体が鎮座していた。ひぇー!これか。こういう状態にされていたのか。気持ち悪くなって吐き気を催そうかどうか迷っているうちに、術後の注意事項を矢継ぎ早に言われたのでその暇は無かった。風呂は駄目、アルコールも無し、食事は普通通りでよし。明日は午前中なるはやで消毒に来ること、患部は常に心臓より上、寝る時もそうしてよと、抗生物質は毎食後、三日間無くなるまでのむこと、痛むときは頓服を、ただし6時間はあけてと。ハイハイ了解了解。写真は記念にくれるのかと思ったが、そうではなく主治医のコレクションに入るようだった。それにしても大学進学時に医学部を選ばなくてよかった。

会計ではいったいいくら請求されるのか突然心配になったが16000円ほどだった。外は寒かった。大切な右腕を胸に抱え、コートの空っぽの右袖をふらふらさせてゆっくり歩みながら、八百万の神に、いや八百万の神々と看護婦さんや主治医、その他スタッフの人々に心から感謝を捧げた。ありがとう。ありがとう。本当にありがとうございました。患部の写真を見てしまったが、思ったより冷静でいられたので今後悪夢に悩まされることもないだろう。近くの薬局で抗生物質フロモックスと解熱鎮痛剤ロキソニン(会計680円)を受け取った。薬と三角巾を見て骨折ですか?と薬剤師に聞かれた。説明が面倒なので手首の腫瘍を切除しましたとだけ答えておいた。こうして我が右手首の神経鞘腫日帰り手術は一応無事に完了したのだった。おわり。 
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2009.12.12

神経鞘腫手術記その1

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右手首の親指根本側に小さなできも出来ているのに気づいたのは一年ぐらい前だろうか。自分が普段気にしているのは顎に出来たアテローマの方なので、あまり気にしなかったのだが、知らないうちに徐々に大きくなり今ではBB弾ぐらいになった。ランニング中、左手にはセイコーパルスグラフ(心拍計)をしているので、額の汗をぬぐうのは右手の袖になる。そのときちょうど当たり、ピリッとした痛みが走るのである。激痛ではないがいや~な痛みである。いろいろと調べてガングリオン(結節腫)かなぁと思い、整形外科にかかると、最初レントゲン、次になんとMRIを勧められた。費用が高い(3000点つまり9000円)のでちと悩んだが一応受けてみた。手首を撮影するだけなのに頭から全身をMRIに入れられちょっと大げさな感じがした。MRIでは造影剤とやらの注入のため左手に注射をされた。放射線科の看護婦は上手で痛みもほとんど無くやってくれた。次の週、検査結果を聞きにいくと神経鞘腫しんけいしょうしゅ、シュワノーマ)という診断が下された。なんだそれは?ガングリオンではなかったのか。この腫瘍は塗り薬も飲み薬も効かず、小さくなることはないので手術で取り去る以外に方法がないという。あたったときに感じる電気ショックのような痛みはチネル徴候といって神経鞘腫に独特の痛みだそうだ。たぶん悪性の腫瘍でない可能性が高いので多少の痛みを我慢できれば日常生活に不便はないので放っておいてもかまわないと。どうします?

ひとしきり悩んだが、邪魔な物は邪魔なので手術で切除して貰うことにした。三通りの手術があるという。全身麻酔右腕全体の麻酔、それから局部麻酔。全身麻酔だと入院、局部麻酔なら日帰りになるという。ちょっと考えて局部麻酔でお願いすることにした。これが我が人生初めての手術になるわけだ。座ったままやるのだろうか。切開するところが目に入るのだろうか。それは見たくないなぁなどと考えていた。旧東海道ランの計画や忘年会など考慮して日程を決めた。

手術の前の週に血液検査を行った。人間ドックの時と同じで、VVRで気分が悪くなることがあるのでと懇願すると、処置室のベッドに寝かされて採血してもらった。整形外科外来の看護婦もとても慎重にやってくれ、上手でほっとした。

手術当日(12月7日)

当初、1400時から開始するため1330時までに整形外科外来に来るようにという約束だったのだが、2日前にケータイに電話があり、事情により1時間後ろにずらしてほしいということになった。我が神経鞘腫は一分一秒を争う病気ではないため快く承諾してさしあげた。当日は、どうせ長い待ち時間があるのだろうという読みから昼休みに近くの書店で暇つぶしの文庫本をテキトーに選び「あ・じゃぱん!」上巻を持って行った。どういうわけか昼食は抜きでという指示だったのでもちろん従った。

整形外科の受け付け前は午前中と同様に混んでいた。午後は新患のみというのにこれや如何に。受付を済ませると手術着に着替えた。人間ドックの時と同じような軽い寝間着である。血圧体温測定をする。血圧はいつもよりもちょっと高い。事前に署名してきた書類を渡すと、他にもいろいろと質問された。過去アレルギーの経験は?今飲んでいる薬はありますか?今、治療中の病気はありますか?大きな病気の経験は?輸血の経験は?昼食をとりましたか?朝食は何時?最後に水分をとったのは何時頃?ご自宅は横浜ですね。何分ぐらいかかりますか?会社はこの近くですか?などなど個人情報のやりとり(一方的な提供だが)をするたびにだんだん看護婦さんとお近づきになっていくような気がした(笑)。ついでだから、もっと聞いてくれれば何でも答えようという気になってきたが、設問項目はその辺で尽きたようだった。ひと通り答えた後は待ちに入った。待合室では依然として一般の外来患者がプアなソファーで辛抱強く待っている。その中にひとり手術着を着て混じると違和感が大。ただ自分はこれから手術するんだもんねというような不思議な優越感のようなものを少しだけ感じた(笑)。この時点ではまだ多少心に余裕があった。貧弱なパイプいすに腰掛けてあじゃぱんを読む。

狭い通路を圧して大きな可動式ベッドが横を通りかかりエレベーターに乗っていずこかへと移動してゆく。患者は土のような顔色のがりがりに痩せた男で死んだように眠っていた。ぎょっとし、まさか霊安室行きではないか?い、いや点滴をしているのでまだ生きているということだよな、などと考える。ふー。

だんだん妙な緊張感が高まってくる。看護婦が来てしゃがみ、大変申し訳ありませんが手術室が空かないので30分待ってくれと言う。またまた自分の神経鞘腫は一分一秒を争わないのでぜんぜんかまいませんと余裕のあるところを見せておいて、あじゃぱんに集中する。日本が戦後、分断国家になっていたら...という半分冗談のようなおもしろ本である。持ってきてよかった。

正確に30分経つと、再び看護婦がやってきてトイレに行くよう指示される。ハイハイ、待ってました。おっしゃるとうり何でもいたします。最後の一滴まで振り絞り(笑)膀胱をすっかり空にした。先ほどのベッドが乗っていったどこへ通じるとも知れぬエレベーターに初めて乗り、3階だか4階にあがった。看護婦二人に連れられ手術室に入れられた。二重扉の間の空間には別の看護婦のペアがいて書類を見ながら本人確認をした。名前・生年月日などを間違えないように慎重に答えると、ありがたく認証が通ったらしく、新しい庇護者に無事引き渡された。ただ、彼女はキャップをかぶり大きなマスクをしているので目元だけしか見えずどんな美人かは確認できなかった。名前をフェルトペンで書いた(なぜかひらがなだった)輪っかを左手首にはめられ、ふわふわした薄いキャップのような物を頭にかぶせられた。昔のパーマ屋みたいだなと思った。そして頑丈な二重扉の内側扉を通り抜けた。

手術室は思った通りの造りで天井から巨大な6眼ライトとやや小さめのライトが並んで光り、中央に高いベッドがあり、すでに点滴がぶら下がっていた。ベッドの右側には小さめの延長ベッドのような作業台が取り付けられていた。部屋の周りには様々な機器がならんでいた。座って手術するかもという何の根拠もない淡い期待ががらがらと壊れ去った。本格的な手術なんだ。整形外科のH先生をはじめ何人ものスタッフがなにやら忙しく動き準備をしていた。この時点で気の弱い自分はもう帰りたくなっていた。逃げ出したらいったいどういうことになるだろうか。小学生の上履きのような運動靴を履いた看護婦が追いかけてくるのだろうか。しかし土地感なしでペラペラのスリッパにこの格好ではさすがのサブ4ランナーでも逃げきれないだろうな。

促されてしぶしぶ二段の段差を上ってベッドに横たわり、しばし右の尻と左の尻と肩と両肘でもぞもぞして体勢を落ち着かせた。すると突然あちこちから手が伸びてきて、同時に一度にいろんな声がして瞬く間に我が肉体は手術システムにマウントされていった。足首に○○をしまーす。よく聞き取れなかったが、あ、ハイ。左手の指先に赤血球をはかるセンサーをつけます。はぁ?パルスグラフのようなものだろうか。そんなもんで赤血球が計測できるのかと思ったが、ハイ。指サックのようなもので別にチクッともしなかった。胸に心電図のなんとか(聞き取れず)をつけます。冷たいですよ。あ、ハイ。手術着の胸を微妙にはだけられて吸盤型のセンサーがぺとぺとといくつか取り付けられた。これは人間ドックと同じだから平気だ。足元に毛布を掛けます。暑かったり寒かったりしたら言ってください。ハイ。そうします。左手に点滴を打ちますので肘を伸ばしてください。嫌です!と言いたかったがハイと答えた。でも嫌だぁ。右手を消毒します。ちょっと冷たくてぬるぬるしますよ。嫌ですと言いたかったがハイと答えた。お顔の前に仕切りを置きます。あ、ハイ。右腕が持ち上げられ冷たくてぬるっとしたものが塗られる感触がした。ひえー。刷毛のような物で塗られている。肘から指先まで裏表を満遍なく。あー気持ち悪い。顔の前に毛布が掛けられ右手側は見えないようにされた。ちょっと見たい気もするが、自分の肉体が切り開かれている場面を見たら確実に失神してしまい、後生悪夢にうなされることになるはずなので、容認することにした。左腕は看護婦が肘の内側をペしペしして血管を探している。あー、この瞬間が一番嫌だ

看護婦二人でここかなぁ、こっちがいいんじゃない?とか指さしながら、結局左手の手首近くが選択されたようだ。自分がモノになったような気がした。ちょっとチクッとしますよ。(しぶしぶ)ハイ。思わず左半身をぎゅっと緊張させて身構える。チクッ。すーっと大きく息を吸いながら耐える。なんでもない、なんでもない。左足首に巻かれたベルトか何かが突然膨らみはじめぎゅーっと圧迫される。な、なんだこれは?あ、足首が痛いんですけど。あ、それ血圧計で5分毎にふくらんで計測するだけですから安心してください。ハー血圧計でしたか。左手首は針を刺したあと周りをテープやなんかで固定しているようだ。が、依然痛い。看護婦さんが痛くないですかぁ?と聞くので、それでは正直に、いや、ちょっと痛いんですけどぉと答えたら、看護婦の手がハタととまり、ちょっと慌てたようすで今貼ったばかりのテープをばりばりとはがし始め、針まで抜いてしまった。あ~、なんということを。やり直すのか。それは止めてくれ~。肘の内側をふたたびぺしペしされて、ご免なさいね、もう一度チクッとします。怒っていたのでハイと答えなかった。チクッ!大きく息を吸い込んでまた耐える。足首の血圧計がヒューとしぼみ、圧迫されていた足首が楽になる。痛くないですか?痛かったが、何度も針を刺されるのは御免こうむりたいので、ハイ大丈夫ですとウソをついた。やせ我慢というのだな。いや大人の会話とでも言おうか。看護婦二人はほっとしたようで、針をテープなどで固定し、点滴を落とし始めた。これで看護婦の当面の作業が終わったらしく自分の視界(左側だけ)から人がいなくなった。最初から大丈夫ですと答えておけばよかったぁと後悔した。いや、手術することにしたこと自体から後悔していた。右側の見えないところから、緊張してますか?と先生が登場。ハイ。もう後悔してます。いやどきどきしてます。とこれには正直に答えた。じゃぁ音楽でもかけましょうかねぇ。えっ?音楽ですか。するとどこからとも無くミュージックステーション(笑)で聞くような音楽が流れてきた。それでは始めましょうか。手術室にステレオの設備がおいてあったことまでは気づかなかった。どこかで聞いたことのあるような曲だった。この選曲は手術室の主であろう看護婦の趣味なのだろうか。いやそれとも有線かなぁ。鼻の穴尿道その他にはチューブを差し込まれずに済んだらしいことに気づきほっと胸をなで下ろした。こうして準備が済み、手術が始まった。(その2に続く) 

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2009.12.11

ウシカメムシ@四季の森公園

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 日曜日は朝から軍手をして家の作業をした。天気がよくベランダでも日が当たると暑いほどだった。年末にかけてこういう作業が増えてくる。一応、ノルマを果たしてから四季の森公園に出かけた。
 前日の土曜日は四季の森公園を昼前に退散したので、ちょうどその続きの時間帯を過ごした。だいぶ探したがトンボは見つからなかった。竹柵検索での収穫は久しぶりのウシカメムシ。日影で発見したが、左手に御招待して日当たりの良い苔むした岩に移動してもらった。このカメムシはあまりにも肩が張っていて頭部がなかなか見えないので、角度をいろいろ変えながら撮影した。すると後ろから声がした。「昆虫ですか?」驚いて振り返ると小学生の男の子ふたりだった。夢中になって変な体勢で撮影していたので興味を引いたのだろう。ウシカメムシの説明をひとしきりしてやると「ありがとうございましたー」と言ってつむじのように走って行った。ヘンなおじさんがいてカメムシの写真撮ってたよなんてお母さんに報告するのだろうか。
 下はクヌギの落葉。透過光の赤褐色が美しかった。12月6日、四季の森公園にて
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2009.12.10

旧東海道ラン#1日本橋~戸塚

7年も前のメモを引っ張り出してきて記事にするのは躊躇われる気もするが、一応全部まとめておきたいと思うので敢えて掲載したい。#1から#7まで分けて一回分づつ紹介していきたい。

旧東海道を走る#1 日本橋~戸塚 2002年4月29日
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前の晩、娘を自分の布団に寝かせる。「今日は何処で寝るのかな?」などと水を向けると、パッと顔を輝かせ、和室を指さす娘。いつもは自分の部屋のベッドで寝るのだが、まだ時々は親の布団で寝たいらしい。この習性を逆手にとり、娘を和室に寝かせ、自分が娘のベッドを使おうという魂胆である。こうしないと朝早く起き出して如何にこっそり支度しても妻を起こしてしまうからである。

明日の為の準備をする。小銭入れにSuicaを指し込む。甘いお菓子、タオルをビニールにくるんで、携帯とハードコンタクトレンズと目薬をまとめてザックにしまう。今回はウェストポーチを使おう。小銭入れはこちらに入れる。

早朝5時25分に目覚め、足音をも立てぬようにこっそりと支度をする。冷たいお茶一口と牛乳を一口飲む。ワンデーアキュビューを目に入れ、五本指靴下を穿き、ロングのタイツとメッシュのTシャツを羽織り、帽子をかぶり、ジャージとウィンドブレーカを着て、ザックを背負って出発。こそ泥ほどの慎重さで玄関を閉め鍵もかける。5時40分だった。

駅前のコンビニで朝食を入手するつもりだったが、なんと閉まっている!なんというコンビニだ。いきなり計画がうまくいかない。乗る予定の電車は5:55発、まだ8分ほど時間があるので駅の向こう側のコンビニに行ってみると、開いていた。こうでなくちゃ。おにぎりとサンドイッチとスニッカーズとバームをゲットし、駅のホームのベンチでさっそくおにぎりを一つ食べる。事前の食料補給が大事なのだ。電車はさすがに座れた。東神奈川の乗り換えで5分ほど待たされるがその時間を利用しておにぎりをもうひとつ食べる。京浜東北にも座れた。東京で下り、Suicaを通す。これは便利。6:55だったのでちょうど1時間だ。鴨居で電車に乗ってから。

日本橋まで歩く間にサンドイッチを半分食べる。橋のたもとのトイレで用を済ませ、着替え、身支度を整えてから、決意も新たに出発だ。7:11。連休だし、自分と同じようなヤツが一人ぐらい居ないかと思って見渡してはみたが誰一人として日本橋を感慨深げに出発するものは見当たらなかった。

早朝の為、銀座も歩行者天国は無かった。ゴミとハシブトガラスの目立つ通りを走る。マヨネーズが好きなんだよな。都会のカラスは。ザックのジッパーがちりちり音を立てるのが気になり、位置をあーでもないこーでもないと調整しながら走ったがやがて諦めた。前回ほどザックの揺れは気にならない。心拍数は今回もやや高く、140を越えている。

浜松町の交差点で左折して来た大型バスを気にしたため、増上寺を見逃してしまう。三田のT字路の交差点で前回と同じように信号待ちを食らったが、今回は交通量がほとんど無かったため、左右を慎重に確認してから信号無視して渡った。大きな交差点なのでよーく確認した。事故や怪我は絶対にしたくないもんね。田町の先に札の辻交差点というのがあり、昔を忍ばせる名前ににんまりする。

品川駅を過ぎ、八ツ山橋を間違わないように渡り旧道に入る。工事中で分かりにくくなっていた。なかなかいい感じの旧道で、つまりは商店街なのだが、旧東海道の絵がシャッターに描いてあったり、お休み所が用意されていたりする。小一時間ほど走ったので早めに休憩をとろう。ベンチに座って、スニッカーズを半分食べ、バームを飲む。ついでにトイレで水分の返却を行う。鈴ヶ森の刑場遺跡をすぎると国道に合流してしまい、残念である。

平和島のあたりで国道から別れて旧道に入る。が、1キロ程でまた合流する。国道131号との分岐点の交差点でずいぶん待たされる。あとは国道をずっと多摩川まで走る。今回は日本橋からずっと国道の左側を通った。六郷橋では小休止を兼ねて歩きながら水分補給(返却ではない)をした。橋を渡り終えると川崎の宿場に入る。右に折れ駅前の繁華街を横切るように走る。このあたりでとりあえずラップを刻む。砂子交差点。いさごと読むらしい。2:03’40。所々に東海道に関する説明がされている。が、いかんせん、川崎の繁華街は汚い。

川崎の街中を抜けるとほどなく八丁畷(はっちょうなわて)の踏み切りがある。前回は国道の面白味の無い道をずっと走ったため、川崎から先が長く感じた。しかし旧道を通ると交通量も少なく、寺や神社が脇にあり、おちついて走れるせいか短く感じる。

踏み切りには脇に小屋があり係員がいる。何しているんだろうか。そういえば昔の踏み切りは、バーの上げ下ろしをする係員がかならずいたものだ。旗を振って電車に合図したりしていた。子供心にカッコイイ仕事だと思っていた記憶がある。(ついでに言うと、もうひとつ憧れていた職業はバスの運転手だった)。その名残か。踏み切りを渡ると一気に雰囲気が寂しくなり、住宅街っぽくなる。コンビニも無い。鶴見川橋をわたり、京急鶴見駅前を過ぎ、国道を横断すると生麦の魚河岸通りだ。本当に魚屋ばかり並んでいるが商売になるのだろうか。

疲労を感じ始めたので、コンビニで食料を調達し、近くの神社(後で調べたら正泉寺と水神宮だった)に座り込んで大休止。おにぎりとサンドイッチを食べポカリスエットを飲む。10分ほどでまた走り出す。生麦事件の碑、キリンビールの工場のあたりでまた、国道に合流する。新子安あたりで若い女性に道を尋ねられる。ニッサンのグランドを探しているという。手にしていた地図の向きが逆だった。横浜はあっちですよと教えると、逆だと思ってうろうろしていたという。よくあることだ。たぶん見つけられるだろう。

東神奈川で国道を渡る。歩道橋しかなく歩いて渡ることにした。ここでちょっと道を誤り1ブロックぐるっと回ってしまう。青木橋を渡って台町の坂を登る。高速の下をくぐるあたりで葬儀があるらしく大勢の黒服がいた。勧行寺。偉い人だったらしい。旧道を進むとやがて松原商店街に入る。朝だというのに大変な賑わいで大混雑。走れないので歩いて人込みをすり抜ける。相鉄の天王寺駅前にちょっとした公園があり小休止とする。

ベンチで休み膝を屈伸しながらミニ羊羹を食べる。旧東海道の説明板を読み、水を飲んでまた出発。だいぶ疲れて来た。保土ヶ谷の駅前を通り越しJRの踏み切りでまたもやだいぶ待たされるが、待つのも休憩のうち。待たされるこの時間が嬉しい。踏み切りを渡り国道を右折する。しばらくすると旧道に別れ入り、突き当たりを左折すると権太坂だ。ここでまたラップを刻む。2:05’54だ。

権太坂

こ、これが権太坂(ごんたざか)か~~~~!見上げるようなすさまじい上り坂を目にし、体力の限界に加え、気力も萎えて来る。こ、ここは歩いて上ろう。なんせ今日一番の難所だからな。坂が緩やかになるまでね。轟音をたてて通る保土ヶ谷バイパスの上をとぼとぼと歩き、光陵高校を過ぎ、やがて左手にすんばらしい景色がちらちら見えだした。ここらでやっと走り出す。道なりに行くと境木地蔵尊があり、休憩を兼ねて参ることに。一応きちんと参拝し、水を頂く。ここは武蔵の国と相模の国の境である。ここからは相模だ。

工事中の交差点を過ぎるとすごい切り通し。江戸の昔を偲ばせる良い場所である。しかし右側の森はフェンスが張られマンションにでもなるのだろう。残念である。しばらくすると一里塚公園があった。人目を忍んで大地への水分の返却を行う。日本橋から9里、約36kmだ。戸塚まではあと一里ほど。老夫婦が説明板を読んでいた。旧東海道を辿っているのだろうか。

さんざん登った後は、(もったいないことに)どんどん下るのがお決まりである。下りは楽なはずだが、いかんせん足腰が辛い。楽なのは心肺機能だ。膝の屈伸で少しぎこちない痛みがあり、ぎくしゃくした走りになってしまう。それと全身に圧倒的な疲労感がある。環状2号の上を歩道橋で渡る。旧東海道を歩く人達がよく間違う有名な場所だ。ここは東戸塚に近い。渡り切った後の道が分からずちょっと迷っていると目の前の家からおばさんが出て来たのですかさず旧東海道を尋ねるとハイこの道ですよと親切に教えてくれた。その表情にちょっと得意気な感じを受けた。

信濃坂を下る途中の酒屋の前の自販機で紅茶を飲んで小休止する。空き缶のボックスがどこにも無いのでこういう店は許せんと呪いながら缶を持ったまましばらく走る。こんなことは初めてだ。国道を渡る交差点の自販機にボックスを見つけ捨てる。信号待ちが嬉しい。ずーと赤のままでいてくれ。あ、いやそれは困る。信号が変わって走り出すのに体が重い。地図を思い浮かべながら慎重に旧道を選び、ゆるゆると走る。

益田家のモチの木というのが左手にあり、しかしさっさと通り過ぎる。立ち止まると走り出すのにえらく気力がいるようになって来た。不動坂で左に入り道なりに。右手には大きな工場が目立つ。そろそろ戸塚も近いのだが吉田大橋を渡るとなぜかどんどん町が寂れてくる。と思ったら戸塚の踏み切りに到達。開かずの踏み切り状態だったのでここを本日の終点とする。あっけないゴールだった。人通りの多い中、ひとめを気にせず銀行のシャッターの前に座り込み、パルスグラフをチェックする。12時20分だった。

ゴール後

くたびれたランスタイルの恰好を多少気にしながら丸井の2階のトイレに入り、顔と腕を水で入念に洗う。タオルで体を拭く。パルスグラフを外した左の手首に日焼けの跡が妙にくっきりとついていた。時間をかけて火照った体を冷まし、背中の汗も拭き、汗でぐしゃぐしゃになった髪を整え、最後にジャージとウィンドブレーカーを着込めばまぁ、まともに見えるだろう。トイレの外にあった冷水器でたっぷりと水分を補給する。

さっぱりして駅に向かう。次回はここが出発点だ。Suicaで改札を通り、すぐに来た電車に乗るとうまく座れた。実は自分は東海道線と横須賀線の区別がつかない。その必要がないからだ。東戸塚、保土ヶ谷、横浜。苦労して走った区間をあっという間に戻る。後で調べたら横須賀線に乗ったらしい。横浜で京浜東北を待つと、横浜線直通のしかも快速が来て、これまたうまく座れた。昼すぎの時間帯で横浜から帰る客もまだ少ないのだ。こわばった足首を伸ばしたり曲げたりして心地よい痛みを楽しみながら三つ目の駅で下りる。

家に着いたら家族はラーメンを食べている最中であった。ザックの中からものすごい形状に成り果てたサンドイッチを堀り出して一緒に食べた。娘の残したラーメンのスープをもらうとものすごく旨かった。塩分を補給したかったのだ。体がうはうは喜んだようだった。前回ほど疲れがひどくないためシャワーの後は子どもと鶴見川で石投げをして遊んだ。それからサッカーのスロバキア戦を見るが、あまりおもしろく無かった。柳沢を右サイドに使うか。あと3点ぐらいは取らねば満足はできん。

★距離 41km(あまり厳密ではないが)
タイム:5:09’17”、平均心拍数148、最大182、ピッチ161

ロスタイムは合計で30分ぐらいか。歩いたのも5分ぐらいはあるし。が、5時間を越え、これまでのパルスグラフでの運動の最長の時間である。

しっかし、江戸時代の人達は朝4時に日本橋を出て戸塚で宿を取ったというから、相当な脚力だ。で、次の日には朝から歩き始めて小田原までいったのだからすごいの一言。文明の利器に慣れてしまった現代人にはとても太刀打ちできないぞ。

○今日の補給物資一覧(おまけ)
・おにぎり3個(博多明太子、ツナマヨネーズ、紀州梅干し)
・サンドイッチ2個(ハム卵サンド、タップリ卵サンド)
・スニッカーズ1本
・ミニようかん1本
・バーム1本(500ml)
・ポカリスエット1本(500ml)
・ストレートティー1本(350ml)これは信濃坂の自販機で
・水たっぷり(公園などで)
★長距離走は補給が命★

次回の目標は戸塚から小田原まで約40km。余力があれば箱根湯本あたりまで。そして、その次はいよいよ箱根の峠を越えて三島までだ。(いつになることやら)

次回は塩を持って走ることにしたい。塩のタブレットがあれば一番良いのだが、ふたつまみほどラップにでもくるんでウェストポーチに2~3個入れておこう。

(今回の写真は別の日に撮影したものが含まれています。)

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2009.12.09

ツヤアオカメムシ@四季の森公園

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 四季の森公園竹柵検索では、息絶えたジョロウグモ、アオマツムシなどが今週も目立った。そんな中で数少ない収穫物はツヤアオカメムシ。黄緑色の新鮮な印象のカメムシである。真横から見るとかなり胸が盛り上がっていて逞しい感じがする。眼の間にある小さな点は単眼らしい。体の周囲がやや黄色く、腹部には黒い点が四つ見える。写真からは分からないが腹部先端の形から♀ではないだろうか。
 下はおまけのシジュウカラ。腹の黒帯が太いので♂かもしれない。12月5日、四季の森公園にて
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2009.12.08

この本が面白かった2009

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 もう年末になってしまった。そろそろこのミスも発売されることであろう。一年をふり返り今年読んだ本の評価をまとめて発表することとしたい。正確には昨年度版を発表して以降に読んだ物が対象なので2008年12月以降の本となる。時系列に並べると、なんと全部ペーパーバックである。15冊。今年も「ばっかり食べ」でジョングリシャムが6冊、ジェフリーディーバーが3冊である。そしてなぜか47というマジックナンバーが明らかになった。スティーブンハンタートロイクックという全く別人の作品に、タイトルとして珍しい47という数字が使われ、偶然一致したのである。そして惜しいところで44という数字もあった。いったいどういうこと?

 さて、読み終えて直後の評価はおいておいて、じっくりと思い返してベスト3を選んだ。わたしの非常に個人的な好みである。コメントはなんだか本屋のポップみたいになってしまった(笑)。もう少し一般的な2009年ベストについてはそろそろ出版されて本屋に並ぶはずの「このミステリーがすごい!2010年版」をご参考あれ。

ベスト1 THE 47th SAMURAI
  アメリカ人侍オタクになったハンターが妄想の限りを尽くして日本の武士道を描いたハチャメチャサスペンス!あり得ないけど面白い。

ベスト2 A TIME TO KILL
  グリシャムの処女作兼最高傑作。父親の尊厳とは?法による支配とは?究極の選択を迫られます。

ベスト3 A PRISONER OF BIRTH
  ジェフリーアーチャーが紡ぎだした現代のモンテクリスト伯。復讐譚には魔力が宿る。

2009年度 読書リスト
SEX and the CITY               Candace Bushnell      12/12-1/20
THE APPEAL                      JOHN GRISHAM          1/21-2/19
THE 47th SAMURAI            STEPHEN HUNTER      2/20-3/8
A PRISONER OF BIRTH       JEFFREY ARCHER      3/9-3/29
THE FIRM                              JOHN GRISHAM         3/31-4/20
CHILD 44                                TOM ROB SMITH        4/22-5/8
THE CLIENT                            JOHN GRISHAM          5/11-5/29
THE PARTNER                         JOHN GRISHAM          6/1-6/16
LUCKEY YOU                           CARL HIAASEN          6/17-7/7
THE TWELFTH CARD               JEFFERY DEAVER      7/8-7 /27
THE BROKEN WONDOW           JEFFERY DEAVER      7/28-8/21
THE BODIES LEFT BEHIND       JEFFERY DEAVER      8/24-9/15
THE PELICAN BRIEF                JOHN GRISHAM         9/17-10/19
A TIME TO KILL                      JOHN GRISHAM        10/20-11/13
47 Rules of Highly Effective Bank Robbers Troy Cook  11/14-11/27

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2009.12.07

晩秋の京都観光

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 11月29日に旧東海道ランの最後の区間を走り終え、京都に一泊した。翌日は秋の京都観光を楽しんだ。ランのダメージがそれほど厳しくなかったため、朝食前に京都御苑二条城を軽くジョギングで回った。御苑はものすごく広く、完全に静かで巨大なイチョウの黄葉やモミジの紅葉がきれいだった。ただ、玉砂利はとても走りづらく速くは走れない。ゆっくりジョグだったので問題なかったが。二条城の周りには観光バスや待ちトラックがたまっていて非常に空気が悪かったので早々に退散した。宿に帰着後シャワー、朝食、チェックアウトしてからゆっくり歩いて京都駅へ。途中で東本願寺を撮影。帰りののぞみのチケットを入手してから、一日バス乗車券500円というのを買ってさっそくバスに乗る。月曜日の朝だというのに観光客の多いこと多いこと。バスは満員で出発した。まずは北野天満宮を参拝し、娘のためにお札を貰う。ゆっくりと歩いて金閣寺に向かう。金閣寺の裏山に大文字を発見して嬉しくなった。金閣寺はピカピカで快晴に映え渡っていた。和風の渋い美しさではなく外国人受けする派手な美しさであった。大陸人や西洋人、修学旅行の中学生がたくさんいた。池にはマガモがいた。いいなぁ野鳥は。勝手に金閣寺に住むことが出来て(笑)。
 ゆっくりと堪能してからバスを乗り継いで次は銀閣寺へ。哲学の道は以前来た覚えがあった。銀閣寺は修理中ということもあり、実に地味で写真を撮る気にもならないくらいだった。しかし庭の紅葉は素晴らしく、心が震えた。朱色系のイロハモミジに黄色系のドウダンツツジ。それに深緑のコケのバランスが絶妙だった。11月も末だというのに紅葉のベストシーズンにあたったようだ。ここでは落ち葉をいちいち取り除いてコケを露出させているようだった。紅葉は目に焼き付けるだけでなく写真にもたくさん撮ったが、なかなか感じた通りの絵が撮れず、同じところで何枚も撮ったりした。微妙な露出の具合で色合いがかなり違ってしまうようである。
 たったの三か所だったが秋の京都を多少は堪能できたのでバスで京都駅に戻ってのぞみで帰宅した。それにしてもどこも観光客が大勢いて大混雑だった。そしてどこの寺社もそれ自体の雰囲気に魅力があった。大観光都市京都恐るべし。11月30日、京都にて

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2009.12.06

早くもロウバイ咲く@四季の森公園

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 一日雨が降るという天気予報に反して、朝からまずまずの天気。短い時間でも最大限に利用したく、黒王号を駆って四季の森公園に行ってきた。池にカルガモが18羽。ミシシッピアカミミガメが一頭、水面に顔を出した岩に乗っていた。トンボは見つからなかった。驚いたのはロウバイが咲いていたことである。緑の葉がまだ残っているのに花が咲いていた。背景には紅葉が。だいたい正月明けに咲くものと思っていたので大変な違和感である。12月初めに咲くというのは今年は寒いということだろうか。
 下はサンシュユ。真っ赤な実、ひび割れした樹皮、つぼみである。11時頃、空が暗くなってきたように感じたのでとっとと撤退したら帰宅直前に雨が落ちてきた。ぎりぎりセーフだった。12月5日、四季の森公園にて
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日曜日の午後4はラン。いつもの亀甲橋往復10km。走り始めが遅かったのですぐに日没だろうと思い、暗いとスピードを出すのがちょっと怖いのでペースは定めずにテキトーに走り始めた。するとまったく寒くなく、非常に適切なコンディションであることが実感されてきて自然とペースが上がった。鶴見川ではあるが、ここは皇居だと思いながら走った。5km折り返し地点で23’14”。最後の1kmは4’28”だった。呼吸は激しいが続けられないほどではなかったのでこのペースで最後まで走り切った。後半5kmは22’19”。なかなか気持ち良いランができた。今日は一日快晴で、日没も美しかった。
コース:鶴見川亀甲橋往復、距離:10km、タイム:45’33”、平均心拍数:169、最高心拍数:185、平均ピッチ:171、ラン後体重:○4.0kg

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2009.12.05

旧東海道ラン#13 石部~京都ついにゴール

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 昨年の晩秋、関から石部までを走ってからちょうど一年。11月29日に旧東海道ランの最後の区間(石部~草津~大津~三条大橋)を走ってきた。思えば2002年4月に日本橋~戸塚を走ってから、なんと7年もかかってしまった。が、無事走り終えることができた。合計約520kmを毎回ほぼマラソンの距離に分割して走った。
 実は今回は走る前からいろいろとトラブルがあって、やきもきした。昨年の失敗(直前すぎて宿とれず)に懲りて、今回はだいぶ前に京都に宿をとって、翌日に京都観光を予定していた。せっかくの京都だもの。この紅葉のベストシーズンの京都を見ずに日帰りはないだろうと。ところが、決行の3日前に朝から体調不調。熱が出て午後には38.4度まで上がりインフルエンザの可能性が高まった。症状としては咳もくしゃみも鼻水ものどの痛みもなし。ただ熱が高くて頭が痛いのと、腰をはじめとして全身の皮膚がピリピリして痛むだけ。氷に塩をかけてビニール袋2重にしてタオルを巻いて額を冷やした。自分の免疫機能を応援するために解熱剤はのまずに我慢して寝た。翌日病院に行って検査してもらおう。新型インフルエンザかもしれない。でも検査が早すぎると出ないかもしれないし、何時頃行こうか。かなり迷ったが、これでは東海道はとても走ることはできないと思い、せっかく予約した宿にキャンセルを入れた。早めにしとかないとキャンセル料がかかるのは避けたいし。
 で、1時間毎に体温を測りながら頭痛に耐えながら一晩を過ごした、明け方4時。頭痛が消えていて体が軽くなっていた。治ったと実感した。36.5度だった。その後はずっと平熱。ただ金曜日は一日ゆっくり休んで過ごした。土曜日はついに我慢できなくなって四季の森公園に行ったら虫好きさんとバッタリ出会ってびっくりした。これは勘違いで一週間前のこと。本当は新治市民の森に行ってトンボを3種観察した。そして、フロンターレが新潟に1-0で辛勝してJ初優勝の可能性を最終節に残せた。で、体調はまったく問題なしと感じられるようになった。月曜日はもともと計画年休をとったまま。日曜日に予定通り走りたいという気持ちがもくもくと湧きあがってきた。ただ、ハイシーズンの京都の宿は前日にはとれないだろう。では日帰りで帰ってくるか。前回予約したサイトを調べてみると、翌日分の予約自体を受け付けてない。当然だ。だが宿自体のサイトを調べてみると日曜日分が予約できるではないか。しかも空きがあるという。即予約を入れた。しかも前回と同じ条件なのに料金が安いし。どういうことだろうと訝るもラッキー!。すぐに準備を始めた。
 日曜日は5時に起き、のぞみ99号で一路京都へ。在来線で草津乗換えで石部まで戻る。石部駅で催し物のパンフレットを配っていたお二人にガッツポーズをして送り出してもらった。0940時ぐらいから走リ始める。曇天で気温が低く手袋をする。今回はロングのタイツだ。小さいけれど鋭角的な山があっちこっちに見える。自分からすると昔見られたボタ山みたいだと思った。在来線で京都から石部まで戻って来たが、ほぼその通りを京都まで走るのだ。線路の近くを草津目指して走る。旧和中散本舗という立派な屋敷があった。草津で左折するところで区役所の人が東海道ウォーキングの人にアンケートをとっていたが、自分はランですと言ったら驚いていた。そして、励ましてもらった。行ってきま~す。ここは東海道と中山道の分岐点でもあった。だいたい30分ぐらいおきに行動食を食べ、自販機で飲料を補給するという小休止を繰り返しながら走る。このあたりはため池が多い。琵琶湖近くで昔は湿地が多かったのではないかと思う。夏はトンボがたくさんいるのかなぁなどと考えながら走った。すると、浄光寺のあたりで道を誤り、気づいた時には国道一号とJR東海道本線の間にいた。庭で洗車をしていた住民に道を尋ねたら、地図を見ながら丁寧に教えてくれた。大感謝>大津のお父さん。ここでたぶん10分ほどロスをした。大津では直角に曲がるポイントが多く、ちょっと気を抜くととたんに分からなくなる要注意箇所だった。しゃれた瀬田唐橋を渡る。ここからは京阪石山坂本線と左右しながらくねくねとした道をたどる。途中で自販機休憩を入れ、いつぞや感激したおしるこを再度発見したので選んだ。とてもおいしかったのだが、飲み終わってから缶の底に残った豆が食べられず残念だった。逆さにして振っても出てこなかったんだよ。残した豆は大きいと(笑)。チェリオという飲料メーカーの自販機は関東では見たことがないので、地元企業なのだろうか。ただ何となくチェリオという飲料は聞いたことがあるような気がした。
 札の辻で左折すると、最後の山が見えてきた。蝉丸神社逢坂を過ぎると狭い山間に紅葉が美しい。JRの山科駅を過ぎるとすでに京都の香りがしていた。ただ、御綾駅裏あたりからの道が異様に狭く、迷ってしまい、ここでも10分ほどロスした。地元の人に道を尋ねたら正確に教えてくれて助かった。大感謝>京都のお母さん。ただ、途中までは半信半疑だった。旧東海道の小さな看板を見つけるまでは。京都のすぐ近くだというのにこんなにみすぼらしい旧東海道とはいったいどうしたことだろうか。143号線に合流するともうあとは下りのみ。あぁ、もうすぐ終わる。だんだん観光客が増えてきて走りづらい。そして気づいたら目の前に三条大橋があった。繁華街のど真ん中のような大混雑だった。ベストシーズンの日曜日の午後3時だからか。あっけないゴールだった。520kmを走ってきた達成感にじっくり浸りたかったのだが、ちょっと雰囲気が違う。というわけで橋の写真だけ撮った。三条大橋はこれまで遙か彼方にある目指すべきゴール地点として自分の中で大きな存在であったのだが、いざゴールしてみるとそこは、観光客で溢れるただの橋であり、巨大な観光地京都を形づくるごく小さな部分の一つでしかなかった。この橋を熱い思いを抱いて渡る旅人や、擬宝珠に興味を示すものは自分以外に全く見あたらなかった。
 その後ゆっくり歩いて事前に調べていた銭湯、錦湯まで行った。ところが、今日は寄席のため銭湯は営業してないという。なんということであろうか。しかたなく一番近い別の銭湯に向かい、5分待って(1530時が営業開始だった)体をゆっくり休め清めた。気持ち良かった。京都の銭湯は410円だった。
 病み上がりで体調に若干の不安を抱えていたが問題なく走りきることができてほっとした。道に迷った旅人を助けてくれた大津市民や京都市民に、そして家族に感謝したい。こうして旧東海道ラン日本橋~京都三条大橋は7年半かけて完了した

コース:旧東海道、石部~京都、距離:37.7km、タイム:5:18’05”、ロスタイム:1時間ぐらい、平均心拍数:135、最高心拍数:173、平均ピッチ:161

旧東海道ランのこれまでの歩み
#1 2002/4/29   日本橋~戸塚
#2 2002/5/5     戸塚~小田原
#3 2003/11/17  小田原~沼津
#4 2003/12/9   沼津~興津
#5 2004/2/11   興津~藤枝
#6 2004/11/17  藤枝~袋井
#7 2005/1/18   袋井~新居
#8 2006/2/20   新居~藤川
#9 2007/2/3     藤川~宮
#10 2007/2/4    宮~桑名(佐屋街道)
#11 2007/11/15  桑名~関
#12 2008/11/29  関~石部
#13 2009/11/29  石部~京都

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2009.12.04

47 Rules of Highly Effective Bank Robbers by Troy Cook

R0010239  いやぁ、まったく何というタイトルだろうか(笑)。直訳すれば「とっても有能な銀行強盗の47のルール」とでもなろうか。自分が避けてほとんど読まないタイプのビジネス書みたいではないか。例えばthe 7 habits of highly effective people7つの習慣」のような。タイトル自体で笑える本は滅多にないのでまずは1ポイントゲット。昨年のこのミス上位になった作品である。この本は通常のペーパーバックよりの一回り大きく、通勤時の読書ではちょっと使い勝手の悪いタイプの本であったが、楽しく読めたので気にならなかった。
  たとえば以下のようなルールがいちいち各章の最初に出てくる。
Rule #8:ALWAYS HAVE FUN! A GUN IN YOUR HAND. A SPRING IN YOUR STEP. The cool wind blowing against your face. That's what life is all about.
And remember,for every lucky person that gets a gun pushed in their face,that'll be the most exciting thing to ever happen in their insignificant lives. Even the ones that wet their pants will get a kick out of it. So you have a blast,too!
 さて、主人公は大人になった子供と父親が二組。一方は娘、他方は息子。父親は一方は銀行強盗、他方は警官。そして娘と息子がデキてしまう(笑)。それも熱烈に。かつて自分にもあった青春のほとばしるような情熱と行動力。いろんなルールに従いながら破りながら強盗を重ねてゆく二人。賢いのかバカなのか?いや賢くて同時にバカなのだ。殺そうと追いかけてくる父親。助ける父親。破滅は避けられないのか。どうなるおふたりさんの運命や如何に!

 二人が初めて出会ったときに引かれあうシーンの納得度がいまいちだったので最後まで一歩引いて読み進んだ。ジェットコースターのようなスピード感があり面白かった。ただ評価は高くはやれないぞっと(笑)。

追記:これの邦訳版は創元推理文庫からでている。「最高の銀行強盗のための47ヶ条

11/16-11/27
47 Rules of Highly Effective Bank Robbers by Troy Cook
rating : 4 stars ☆☆☆☆
paperback 282 pages
Capital Crime Press (2006/8/15)
ISBN-10: 0977627667
ISBN-13: 978-0977627660
$14.95
Yen 1287(amazon.co.jp)

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2009.12.03

オオアオイトトンボ手捕り@新治市民の森

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 新治市民の森ではアキアカネとマユタテアカネを観察したあと、あの場所に行けばオオアオイトトンボに会えるという確信があった。何年も通っているから当たり前といえば当たり前。で、思った通りのところにいた。♂だった。あたりを探したが見つかったのは全部♂。メスは没するのが早いのか。産卵などのため寿命が短いのだろうか。暖まっているところを失礼してゆっくりと手捕りさせてもらった。顔と胸と尾部付属器。いつものことだが、オツネントンボを探すも見つからなかった。
 ちなみに大正池ではカワセミ以外にコガモ5とカイツブリ1がいてやたらと騒がしかった。ここでコガモもカイツブリも見るのは初めてである。11月28日、新治市民の森にて
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2009.12.02

マユタテアカネまだ健在@新治市民の森

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新治市民の森のいけぶち広場下の暖かい路面に赤トンボがいて、時々飛び立っては同じところに戻っていた。双眼鏡でよく観察すると眉斑がある。胸の模様は見えない。尾部付属器はかろうじて見え、マユタテアカネ♂と分かった。アキアカネに比べてやや小さい。翅がまだキレイな個体である。こういう暖かい日にたくさんエサをとって、いい場所を選んで夜を迎えることでまだまだ生き延びてほしい。気温が何度ぐらいに下がると動けなくなるのだろうか。また、そういう日が何日続くと絶命するのだろうか
。11月28日、新治市民の森にて

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2009.12.01

アキアカネ飛翔@新治市民の森

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 晴れて気温が高い土曜日、新治にトンボを見に行ってきた。風が強い日だったので、狙い目は南向きの斜面で風を避けられるような場所。そして、もちろん産卵場所の近くである。新治市民の森の入口近くの田圃の斜面でさっそく赤トンボが一頭飛ぶのを見つけた。ふだんは通り過ぎる場所ではあるが、黒王号を置いて田圃に降りてみた。暖かいシーズンには植物などの先端を好んで止まるトンボであるが、シーズン終盤のこの時期は地面に直接止まることが多い。地面は落葉が散らばり、なかなか見つからない。しばらくその場で眼を凝らしていたら、飛び立つトンボを見つけることができた。眼を離さないようにして降りる場所を確認した。翅に黒帯は無い、眉斑はなく、胸の模様からアキアカネと分かった。♂である。なるべく白っぽい場所を選んで止まっているようだった。近くにいる別の♂個体と時々やりあっては元の場所に戻ってくる。戻るときに自分が着ていた白のウィンドブレーカに興味を示すので気が気ではなかった。自分に止まられると撮影できない。元の場所に戻るときに少し逡巡する瞬間を狙って空中の姿を撮影してみたら何枚か撮れた。飛んでいる赤トンボの写真は初めてと思う。一番下はいけぶち広場の掲示板に執着していた別のアキアカネ♂。この日♀は見ることが出来なかった。11月28日、新治市民の森にて
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