2010.05.27

東海道ロングウォーク【戸塚~小田原】

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   (↑ スタート直後の標高の高いところは大坂の登り)
         (↑ 下り坂の部分は遊行寺坂である)

5月19日月曜日の日本橋~戸塚に引き続き、15日日曜日、東海道を歩いてきた。今回もウォーキングがメインなので途中にたくさんある見処を見て回るのはやめて最小限の撮影しかしていない。月曜日の後遺症は火曜日と水曜日に及び、足腰がかなり痛んだ。だが、思ったよりも歩けたのでもう少し歩いてみようという気になったのだ。
戸塚には0820時ごろ到着したので前回のゴール地点であるJR踏み切りの手前をスタートとした。こういうところ我ながら律儀である。ところがクルマがすでに通れないふみきりは開かずの踏切であった。ホームに止まっている東海道線がやっと動き出し東京方面に走ってゆくのを最後まで眺めたが、まだ開かず、今度は東京方面から別の電車がやってきて徐々に速度を落とし、ホームに到着するまでず~っと見届ける羽目になった。最初から踏み切りの向こう側をスタート地点にしておけば5分は違っていた。戸塚駅西口は呆然とするぐらい再開発されていて巨大な建物が出来ていた。大坂を登り、国道1号に合流した。前回走ったときには「お軽勘平」の石碑が工事のため移動されていて見れなかったので、見逃さぬように気をつけた。小田原までの区間はほとんどを国道1号を通ることになるので、日本橋から○○kmの標識を目印にすることとなった。なるべく日陰を歩きたいので小田原に向かって左側の歩道を通ることが多かったが、右側に一里塚などの見るべきものがあるときは右側も通った。右側では標識は「日本橋まで○○km」となる。
この日も1秒に2歩のペースで調子よく歩いた。荷物は前回とほぼ同じ。距離もほぼ同じである。日焼け止めを顔や首筋、両手に塗ってきたが長袖のTシャツの袖を長く伸ばして手の甲をなるべく覆うようにした。原宿交差点では国道の上り方面がすでにトンネルになっていたようである。残念なことに交差点にあった石仏群は見当たらなかった。国道を西に向かうサイクリストがやたらに目に付く。バイクも多い。遊行寺では今回も故物市が開催されていた。この寺で故物市に出会った確率は80%以上と思う。毎週日曜日に開催されているのだろうか。藤沢で右折しおしゃれ地蔵を撮影しメルシャン前を通る。ふたたび国道に合流すると松並木がところどころに出てきて街道の雰囲気をかもし出している。茅ヶ崎のショッピングセンターでトイレ+お茶入手のため小休止。
馬入川(相模川)手前で街道歩き人の5人ほどのグループを発見。かなりのスピードでシャキシャキ歩いている。自分と同じように見るべきものをしっかり見ているようだった。橋の手前で追い抜いてスピードを上げた。平塚の商店街を越えたあたりでちょうど4時間となり、小田原サイクリングの時にいつも利用するすき屋があるので昼食とした。今回はカレーにした。そういえば朝は松屋のカレーだったので2食連続同じものを食べたことになる。自分的には松屋のほうが好きだな。昼食休憩は10分。高麗山をちら見しながら平塚を抜け西に進み花水川を渡る。化粧坂(けわいざか)の松並木を通り、JRの暗いトンネルをくぐって大磯に入る。ここの松並木は数が減っているような気がする。メッシュの長袖Tシャツ一枚でちょうど良い気候だった。だんだん湘南の海の存在を左手に感じるようになってきた。芭蕉庵を外側からさっと撮影して先を急ぐ。国道を延々と歩くと、小田原方面から帰ってくるサイクリストたちが目立つようになってきた。日本橋から○○kmの標識の数字がひとつずつ増えていくのを唯一の励みにして、ただただひたすら歩く。ありがたいことに適切な風が吹くので涼しい。国道は路面の音が静かである。大磯城山公園でトイレの小休止。帽子に水をたっぷり含ませてすぐに出発。つばから滴り落ちる水滴を袖に受けると腕がさらに涼しく気持ちよい。国道からそれて旧道を辿ると交通量も少なく落ち着く。ガイドマップを時々見ては一里塚の位置を確かめながら進む。二宮の駅前で街道歩きの大集団を発見した。自分と同じく西を目指して歩き始めたようである。国道の右側の歩道をかなりのスピードで進んでいた。結構高齢者も含まれているようだがなかなかのスピードである。自分は左側の歩道を競うようにしてスピードを上げて追い越し、やがて見えなくなった。競ってしまうんだなぁこれが。なんという幼児性だろうか(笑)。自販機で午後の紅茶のペットボトルを入手し、冷たい紅茶をゴクゴクすると生き返るようだった。しかしこのあたりから後頭部に鈍い頭痛が発生し始めていた。熱中症にならないように、気分が悪くならないように、気をつけながらもとにかく歩いた。あまり見処も無い国道は退屈でたまらない。サイクリストは帰ってくるのがほとんどだったが、まだ西に向かうのも少数いた。サイクリングは純粋にスポーツと認めたい。なぜならタイヤやギアなどの機械をつかってはいるがすべての動力は人間の肉体の力だからである。クルマやバイクを使ったモータースポーツという言い方に非常に違和感をいつも覚えている。あるいは風力を利用したボートなどもである。限定的にいうならば原始的なスポーツなのだ。マラソンもサイクリングも水泳も。筋肉系とでも言おうか。小田原往復サイクリングを今年は久しぶりにやってみようかなぁと思う。押切坂の急坂は歩きにくい。坂を登るのは問題ないが下りは歩きにくいのだ。下りの一歩一歩で体重を受け止める膝に圧力がかかり、痛むのである。上り坂では体重分を持ち上げるだけだが、下り坂では体重分以上(1.1倍とか1.2倍とか?)の衝撃が膝にかかるからだ。
だが前回の日本橋~戸塚の時よりは全体に脚の具合は問題がないようだ。少し鍛えられたか。酒匂川を渡るともう少しだ。国道の標識は83kmまで来た。新宿で左折して旧道に入り松原神社前でゴールを迎えた。1633時だったので8時間3分かかった。松原神社に道中の無事を感謝してから小田原駅まで戻った。小田急駅は立派に改築されていた。ロマンスカーにするかちょっと考えたが小田急の急行でゆっくりと帰った。がらがらだったので脚を伸ばし、ミレニアム1に没頭することが出来た。今回も距離は約42kmとしておく。5月15日、東海道【戸塚~小田原】。

前回のゴール地点をスタート地点とした。これがなかなか通れない開かずの踏み切り。
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お軽勘平の碑は初めてみた。
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茅ヶ崎の一里塚日本橋から14番目なのでだいたい14×4=56km地点になる。
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馬入川を渡った平塚市の一里塚は15里なので日本橋から約60km地点
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大磯で目に付いたかっこいい古風な家。
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伊藤博文が住んだ滄浪閣跡の碑
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国道の標識。日本橋からの距離がだんだん増えていくのが楽しかった。
「日本橋から」と「日本橋まで」の2種類があり、道の左右どちらを通ったかが分かる。
いやぁ、よく撮ったものだ(笑)。
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2010.05.19

東海道ロングウォーク【日本橋~戸塚】

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                    (終盤の急坂が権太坂の登りで、下りは信濃坂    ↑ ↑)

 5月10日の月曜日、労働者に認められた休みの一日を使ってロングウォークをしてきた。あまり天気が良すぎないというのもちょうどよかった。ずいぶん前に同じコースをランしているし、このコースの一部ならばいろんなコースを走ったり歩いたり、自転車で走ったりしているのでコ-スは熟知しているといってよい。今回のポイントは約40kmを歩きとおせるかと言うこと。たぶん8時間かかると想定しているが、この8時間を自分が歩き続けられるかどうか?を知りたい、やってみたいということである。これまでのロングウォークの経験は会社から自宅まで20km(2005.12.26)、渋谷から自宅まで26km(2010.4.4)、三浦七福神24.5km(2010.1.9)、東京港野鳥公園から自宅まで23km(2009.1.4)、鶴見川源流から自宅まで24km(2004.1.12)、自宅から鶴見川河口まで21km(2004.2.1)などで30km以内の距離である。思えば大学時代にイベントで福岡市箱崎から大宰府までの往復を夜通し歩いたことがあったが、どれくらいの距離だったか思い出さない。とにかくフルマラソンの距離をはたして歩きとおせるのだろうか?走ることは出来ても同じ距離を歩くことは出来ないのか?出来るのか?江戸時代の旅人は十里(約40km)を毎日歩いて二週間かけて都に上ったというが、それがどれほどのものなのか、その一部をチャレンジしてみたいと思ったのである。
  さて、持ち物はSUICA、小銭入れ、ケータイ、デジカメ、タオル、ペーパーバック、東海道のガイドブック(文庫本)、バンドエイド、帽子、サングラス、折りたたみ傘をラン用リュックにいれた。天気など考慮して上は薄手のラン用長袖Tシャツ一枚、シューズはランシューズではなくメレルのトレッキング用のものにした。ソックスはラン用5本指ソックス。朝はいつもの朝食をとって出かけた。電車はいつもの経路でいつもの時間帯の満員電車で通勤客の中に自分だけジーパンにリュックといういつにない格好で自分でやや違和感大だったが気にしない気にしない。ジョングリシャムの世界に入り、元KKKのテロリストの死刑執行を目前に控えその回避のために奔走する弁護士(死刑囚の孫にあたる)の緊迫したストーリーにどっぷりはまりこんで過ごした。
  東京駅から日本橋まで歩き、道路原標など撮影して出発したのが0920時。以下断片的なメモで。

銀座のアップルストア前(林檎のマークがあったのでそれと分かった)には行列が出来ていて、たぶんiPadの予約か何かだろうと思った。月曜日の朝一にこんなところに行列するヒマジンって一体どんなヤツラだろうなどと感じた自分がおかしかった。

大田区体育館の建て直し工事がされていて、大規模な基礎工事をしていた。いったいどんな立派な建物ができることやら。

続いて京急蒲田駅も工事がされていて、ものすごいことになっていた。羽田線も高架になるようだ。駅は3階建てか?無駄に高いような気がした。

鶴見で昼食。牛丼屋の隣の天丼屋にした。やはり丼モノは出てくるのが早い。昼食による休憩時間はたったの10分。

松原商店街手前の浅間町あたりで、どう見てもヤクザらしき一団が道一杯に広がって交通を邪魔していたので大変ウザかった。パトカーがちょっと離れて監視していた。

はじめはふともも前面に張りがでたが、しばらくしてなんともなくなった。最後は左右の膝の裏側の筋。振り出した脚を着地する寸前に引き寄せる動作で使う筋肉が痛んだ。腰が少し痛くなったので、姿勢に気をつけ腰から頭部をまっすぐにして歩くようにした。1秒に2歩のペースでシャキシャキ歩いた。メレルのシューズはやや重いものの脚にピッタリでまったく何の支障も無かった。

益田家のモチの木のあたりで「東海道を歩く」ガイドブックが地面に落ちていた。逆方向に歩いた街道歩き人が落としていったものだろう。自分も使ったものだが大きいので今回は持ってこなかった。

ゴール地点は前回と同じく戸塚駅の踏み切りとした。車止めがしてあった。1730時だった。モディのトイレで水を使ってさっぱりしてからJRで帰った。時間的には通勤ラッシュだったが、逆方向のためか電車がガラガラでゆっくり座っていけた。腰をおろしておけることがありがたかった。そういえば頭痛はいつの間にか消えていたことに気づいた。

撮影や昼食、トイレ、信号待ちなどで合計30分ぐらいはロスタイムがあったと思われるが、それを含んで8時間10分かかってゴールできた。思ったほど苦しむこともなく痛いことにもならず、無事に歩くことができた。案外問題なく歩けたが、全身の疲労感はやはりかなりもので、走るのと変わらないぐらいだったかもしれない。距離はガイドブック1だと41km。別のガイドブック2だと40km弱。ランネットで地図上でルートを辿って計ったら42.78km。面倒なので約42kmとしておく。ちなみに今回はちょっとしたルート誤りもまったく無く100%正しいルートを歩けた。

スタート地点の日本橋。真上を首都高に覆われていてまったく酷いことと思う。R0025555

銀座のアップルストアに並ぶ人たち。 
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鈴が森を少し過ぎたあたりで日本橋から12kmR0025609

京急蒲田駅の踏み切りR0025619 

鶴見の一里塚。この辺では腹ペコ状態。
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生麦事件の碑はキリンビール工場の前
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信濃坂の途中で横浜環状2号線を歩道橋で渡る箇所がある。R0025682

ゴール地点の戸塚踏切は車が通行止め
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2010.01.27

旧東海道ランまとめ

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スタート地点の日本橋

東海道五十三次を日本橋から京都三条大橋まで走った道中記を以下にまとめる。

#1 日本橋~品川~川崎~神奈川~保土ヶ谷~戸塚
#2 戸塚~藤沢~平塚~大磯~小田原
#3 小田原~箱根~三島~沼津
#4 沼津~原~吉原~蒲原~由比~興津
#5 興津~江尻~府中~丸子~岡部~藤枝
#6 藤枝~島田~金谷~日坂~掛川~袋井
#7 袋井~見附~浜松~舞阪~新居
#8 新居~白須賀~二川~吉田~御油~赤坂~藤川
#9 藤川~岡崎~知立~鳴海~宮
#10 宮~桑名(佐屋街道)
#11 桑名~四日市~石薬師~庄野~亀山~関
#12 関~坂の下~土山~水口~石部
#13 石部~草津~大津~京都三条大橋

ランとしての記録
日付           距離    区間            タイム    心拍数平均最高 ピッチ 天候
2002/04/29 41.0km 日本橋~戸塚 5:09'17" 148A 182M 161P 晴、暖かい、風無
2002/05/05 40.0km 戸塚~小田原 4:50'02" 156A 200M 163P 晴、暑い、南西強風
2003/11/16 37.0km 小田原~沼津 6:27'00" 139A 177M 151P 晴、暖い、風無
2003/12/09 41.7km 沼津~興津    6:25'50" 152A 166M 167P 晴、適、風無
2004/02/12 38.0km 興津~藤枝    6:05'30" 142A 178M 155P 晴、低、風無
2004/11/07 39.0km 藤枝~袋井    6:11'03" 138A 170M 152P 快晴、適、風無
2005/01/18 40.0km 袋井~新居    5:35'15" 138A 178M 160P 快晴、寒、風無
2006/02/19 44.0km 新居~藤川    6:45'44" 144A 202M 162P 曇、寒、風有
2007/02/03 40.0km 藤川~宮       6:41'18" 142A 179M 163P 快晴、寒い、北西
2007/02/04 37.0km 宮~桑名       5:56'04" 139A 170M 159P 快晴、寒い、北西
2007/11/15 43.2km 桑名~関       6:16'21" 142A 185M 165P 快晴、暖、風無
2008/11/29 40.4km 関~石部       5:55'09" 136A 172M 166P 晴、適、風無
2009/11/28 37.7km 石部~京都    5:18'05" 135A 173M 161P 曇、やや寒、風無

参考書
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ゴール地点、京都三条大橋の擬宝珠

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2010.01.26

旧東海道ラン#10宮~桑名(佐屋街道)

旧東海道ラン#10宮~桑名(佐屋街道)

2007年2月4日

前日、藤川から宮まで走り、宮に宿泊した翌日、桑名まで走った。宮から桑名までのこの区間は旧東海道ではふつう船で渡ることになっていた。いわゆる七里の渡しである。今は渡しなどないので陸路を通るわけだが、佐屋街道を通ってみた。ちなみに佐屋街道とは....

 佐屋街道は寛永3年(1626)と11年(1634)の三代将軍徳川家光の通行を契機として整備が進められ、寛文6年には幕府の道中奉行が管理する官道に指定された。
 この街道は、熱田宿と桑名宿を結ぶ七里の渡しの脇往還として非常に賑わっていた。商用や寺社参りの人々、参勤交代の大名行列、さらにはオランダ商館のシーボルトや十四代将軍家茂もこの道を通行している。
 永年にわたり日本の幹線道路網の一部をになってきたこの街道も、明治5年(1872)の熱田と前ヶ須新田(現:弥富町)を結ぶ新道の開通によりその役割を終え、現在では地域の幹線道路として親しまれている。

というものである。使っている東海道散策マップにはご親切にも佐屋街道も詳しく掲載されていたのでこのマップをしっかり握って走った。朝早くに熱田神宮にお参りをし、朝食をとってから七里の渡しを0836時にスタートした。幅の広い道路を北上し、JR金山駅手前の交差点の道標で0901時。通行人の親切なおばさんに場所を確認してもらった。ありがとう。ここを左折してあとはひたすら西へ向かう。
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前日に40kmを6時間41分もかけて走った疲労が抜けきれず、最初から体が重い。しかし想定の範囲内であり、時間はたっぷりあるのでゆっくり行こう。JRの線路下を通り、五女子一里塚を通り、佐屋街道の説明板を0916時に通過。

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庄内川を渡り、万場宿に入ると看板があった。というか看板しかなかった。この辺で10時ぐらい。最初からではあるが、疲れていた。右足の人差し指というか第二指の爪先が痛い。

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高札場のあたりで歩いていた男と眼が合い、街道走りの話など立ち話をした。頑張ってね!と励ましてくれて一気に元気が出た。ありがとう。街道の左側の民家をふと見ると横井正一記念館という表札がかかっていて、おやと思い急ブレーキ、一応撮影しといた。普通の民家のようだった。七所社にて休憩。自販機の飲料でたっぷりと水分をとる。今日は休憩も長く大休憩となった。

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ひたすら西を目指して走る。ゆるゆると。右手に大きな落葉樹が見えてきた。神守の一里塚だった。ムクノキらしかった。見上げる空がとても青かった。

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神守宿を過ぎ、日光川を渡る。橋が掛け替え中だった。このあとマップ上のルートが点線になっていて、古い道が残ってないことをしてしている。なんということだ。しかたないので一番近いルートを取る。ここぞと思った角を左折して南下する。しかし疲労感が甚だしく、コンビニを見つけて再び大休憩とした。広い駐車場に座り込んでパンとおにぎりとお茶で昼食とした。天気が良いので陽だまりは暖かかった。一旦座り込むと立ち上がるのがつらい。股関節と腰とそして体全体がつらかった
愛宕神社を1153時、名鉄尾西線の線路を1204時に超えた。佐屋街道址の巨大な石碑がたんぼ脇に立っていた。1209時。

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佐屋三里塚址の石碑に1222時。ここまでで約25kmである。佐屋街道はとりあえずここまで。佐屋から桑名までは三里の渡しとして木曽川を船で下ることになっていた。

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佐屋から桑名までも走るしかないので頑張って走る。ここからはほぼ南下する。しかもマップにもルートがないので道路標識だけが頼りである。
ただ、疲労感が激しく意識も怪しくなってくる。道を間違わないようにひたすら標識を見ながら走る走る走る、ゆっくりと。

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しかし、ここからが長かった。弥富駅近くで右折し国道一号に合流。尾張大橋を通って木曽川を渡る。長島に入り、自販機休憩。そして最後の川、長良川+揖斐川を渡る。この橋が長い。渡り終えると土手沿いに左折して下る。やがて桑名の渡しのお城のような建物が見えてきた。水路がありどこから渡るか、どこでゴールとするか迷いながら、適当なところでゴールとした。1407時。とにかく疲れた。九華公園のベンチで汗を拭き、休み、着替えて荷をまとめ直してから桑名駅までふらふらと歩いた。足が痛かった。名古屋まで電車で帰り、名古屋駅で味噌カツを食べて新幹線のぞみで帰った。やはり、二日連続のランは非常にハードなものだった。いやぁ、しかしもしかしてここは三重県だ。東京都、神奈川県、静岡県、愛知県ときて遂に三重県に突入したのだ。あとは、滋賀県と京都府だ。ゴールが近づいてきた感じがしてきた!

2007年2月4日
コース:佐屋街道 宮~岩塚~万場~神守~佐屋(ここまで佐屋街道)~弥富~尾張大橋~伊勢大橋~桑名七里の渡し(一般道)
距離:約37km、タイム:5時間33分(ロスタイム大)、平均心拍数:139、最高心拍数:170、平均ピッチ:159 (SEIKO PULSE GRAPHで測定)

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2010.01.19

旧東海道ラン#7袋井~新居

旧東海道を走る#7 袋井~新居

2005年1月18日(どういうわけかこの回はメモがあまり残っていなかった)

東海道第7弾の【袋井~新居】を決行した。今回も往復に新幹線こだま+東海道在来線を利用した。天気は良かったが気温が低く発汗量が少なかったせいか、快調に走れた。

袋井駅前のトイレ(前回も使った所)で着替えて袋井宿場公園をスタート。この車椅子用トイレは赤ちゃん用に荷物を広げられる工夫がありほんとに便利だ。今回はあまり間違えそうな道はない。デジカメとマップを両手に走り出した。

見付(いまは磐田)の商店街にジュビロ磐田の選手のサインと足型のタイルが延々とあった。天竜川を渡る部分が今回の難所だった。天竜川橋も新天竜川橋も歩道が無い★からだ。信じられないような話だが、本当に歩道がない。ガイドブックにも危険なのでバスで渡れと書いてあった。今回は天竜橋を走って渡ったが、ほんの20cmぐらいの狭い路肩を車と欄干に挟まれながらなんとか渡れた。車の来ない瞬間を利用してデジカメまでしてしまったが、他人には絶対にすすめられない。ましてや自分の子供なら禁止したい。(危険なことを自分がするのは自分の責任であるからいいが、人が危険を犯すのは見ていられないというのは身勝手あるいは傲慢であろうか。そうだろうなぁ)二つの橋の真ん中に新しい橋が建設中だった。歩道付きだろうな。

浜松アリーナのベンチで休憩したが、ベンチが鳥の糞だらけで座れなかった。実のなる木の下だったからだが、愚かな配置だ。プンプン。

舞阪の篠原町の交番でトイレを借りた。気のよさそうな警官が笑って許可してくれたが、一言「爆弾なんか持っていないでしょうね」と聞かれた。トイレで困ったときにはコンビニ、ガソリンスタンド、交番だ。舞阪宿の脇本陣は立派で時間があったら見学していきたかった。また五十三次すべての宿を並べた松林などもあり、舞阪の印象は良かった。浜名湖を二つの橋で超えるときに風が強く寒かった、が弁天島など景色がすばらしく今回の最後のコースを飾るにふさわしい場所だった。

新居宿はJR新居駅より約1km先だったが時間と疲労度と日和度を考慮して、駅でゴールとした。一番下の写真で、日本橋から274.3km地点であることがわかる。駅から南に400mの公園のトイレで着替えた。ここにも車椅子用のトイレがあり本当に重宝する。駅近に銭湯は無かったので(ちょっと外れたところに温泉はあるのだが)今回もお湯は無しとする。浜松までの鈍行電車は地元の高校生の下校の集団と重なり座れなかった。浜松で途中下車しお土産やら暖かいうなぎ弁当などゲットし、こだまでゆっくり帰った。

次回は静岡県からついに愛知県に突入することになる。いつ決行できるやら。

距離    約40km
タイム  5:35’15”(ロスタイムは60分ぐらいか)
心拍数  138 最大178 平均ピッチ160

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スタート地点の袋井宿場公園

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小学校の正式な名称が「東海道どまん中西小学校」だったらすごいなぁと思ったが、やはりそんなわけはなく「袋井市立袋井西小学校」と書いてあった。前回の#6では「東海道どまん中東小学校」があったが、これに習うと「袋井市立袋井東小学校」ということになろうか。素敵だなぁ、このネーミング感覚。

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これは「旧見附学校」で、明治初期に出来た学校で、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎だそうだ。

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これが悪名高き歩道のない天竜川橋。交通量の多い長い橋の路側帯を走るのはとても怖かった。旧東海道中の最難関箇所といえよう。

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松並木の道は心和むし、歩道もあって大変ありがたい。こういう道は地域の人にとっても歓迎なのではあるまいか。

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2010.01.12

旧東海道ラン#6藤枝~袋井

旧東海道を走る#6藤枝~袋井

2004/11/7(日)
ちょうど高校二年生の娘の修学旅行(沖縄)で早朝から娘の出発でどたばたしているのに便乗して自分も朝6時過ぎに出る。新横浜からこだまに乗って静岡。待っていた鈍行の始発の東海道線に乗り換えて藤枝まで。相当なローカル線の雰囲気だ。到着は8時16分。藤枝駅は前回から変わっていた。駅舎の工事らしくぐるっとフェンスで囲われていた。

そういえば、新横浜から自分とともに乗って来た母親と娘の二人は静岡でもともに降り、同じ電車で藤枝でも降りた。これはかなりのまれな確率ではないだろうか。その子は一輪車を持っていて、別のお友達とこだまの中で落ち合ってはしゃいでいた。小学校6年生ぐらいだろうか。どこかで一輪車の大会でもあるのだろう。※後で調べたら大井川マラソンコース・大井川陸上競技場で「2004さわやか全日本一輪車マラソン競技大会」というのがあったらしい。大井川のどこかの河川敷なのだろう。
http://jua-web.org/marathon/2006/index.html

駅前のトイレに入ってお着替え。狭い。脱いだジーパンが嵩張りリュックになかなか入らないがなんとか押し込む。前回のゴール地点である青木交差点まで約800mをぶらぶら歩く。一緒に降りた大量の中高年たち(揃いもそろってリュックを背負い、帽子をかぶっていた)を満載したバスが藤枝宿方面に向けて走っていった。が、駅前なのに日曜日の朝とあって人通りが少ない。部活らしき高校生ぐらいしか見当たらない。

スタート地点で再度荷造りしなおし、前回のゴール地点と今回のスタート地点をデジカメしてから走り出す。0836時。走り出したと思ったら背中から何かがドンと落ちた音。リュックの網に挟んでいた水のボトルが見事に落ちていた。仕方ないのでリュックの中に入れて改めてスタートを切った。

ガイドマップを左手に、デジカメを右手に持ってゆっくり目に走る。今朝体重計でリュックを計ったら2.5kgあった。それに着替えを入れたので3kgぐらいはあるだろう。水も背負っていて妙にバランスが悪い。今回は一里塚を目安に小休止しながら走る。しかし天気が良すぎ。気温も高い。せっかくシーズンだと思って決行したのに。気温は15度以下、天気は曇りが望ましい。

旧東海道#6 島田

ガイドマップ通りに(当たり前だが)松並木やら一里塚やら寺やら説明板などが次々に現れてはデジカメしていく。島田宿大井神社で小休止。鳥居の真下に座ってアンパンと黒糖を食べ水を飲む。しばらくして真っ白い煙を黙々と上げる煙突のある東海パルプの工場前で左に道をとると、やがて大井川の川会所のすんばらしく古風な町並みに入る。ここは江戸時代かと迷うほどだ。時間があれば一日でもゆっくりしてみたい場所だ。しかし悲しいかな走ってるんです。デジカメを数枚撮ってパス。

土手に上ると広大な大井川の河川敷が広がる。ここでもまた小休止。黒糖の固まりと口に入れる。水を飲む。天気が良い。川向こうに立ちはだかる山並みを眺め金谷からの登りに恐れを抱く。河川敷を自転車が列をなして走ってゆく。シャーーーーーっと音を立てて。良い練習コースだろう。ふとわれに返りリュックを背負って出発だ。まだまだ先は長い。さて、箱根の山は越えられても越すに越されぬ大井川だが、ちゃんとした歩道があって、しかし長かった。大井川橋は7分50秒もかかった。多摩川などとは比べられないくらいに川幅がある。木が丸ごと根っこから流されて何本も転がっている。上流から流れてきたのだろうか。実際に水が流れている幅はたいしたことは無いが増水したときにはどれくらい幅が広がるのだろうか?想像もつかない。
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旧東海道#6 金谷

「かなや」と読む。渡りきると遠くで汽笛の音が聞こえてきた。何度も何度もアピールするように鳴らす。程なく大井川鉄道の踏み切りだ。カメラマンが何人かいたので見てみると駅にSLが停まっているではないか。ラッキー。いいものを見せてもらった。しきりに白い煙を吐いている。目の前を走るのを見てみたい気がしたが、我慢して一枚だけデジカメして走り去る。金谷駅手前のガードをくぐったところでまっすぐか右か、道を考えていると通りがかったおばあさんが親切にも教えてくれた。
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「右行って国道越えてまっすぐ。」

迷う観光客が多いのだろうなぁ。このばあさん何度もこのセリフ言っているんだろうなと思った。しかしすごい登り坂。走れずに歩く。国道に出ると観光バスが2台停まっている。さらに登ると観光客が大量に下りてきた。石畳になり、さらに登る。そののぼりが長い。早歩きでどんどん登る。登った上には茶畑が広がっていた。道なりに進み、お休み所があったので小休止。
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今度は下り。石畳を走って下りる。ところがこの石畳。妙に丸く、着地点をよく見ながら行かないと足を挫きそうだ。途中工事中の箇所があり、工事中の爺さんと目が逢ったので会釈して通り過ぎた。石畳をメンテしてくれてありがとうという気持ちをこめてね。坂を下りたあたりにまたお休みところがあったのでトイレ休憩。

旧東海道#6 小夜の中山~日坂(にっさか)

ここからはまた登りだ。周りは茶畑。今度ものぼりがすごく長い。きれいに刈られた茶畑がパターンが美しい。茶の花が咲いていたのでデジカメする。黄色のおしべに白い花びら。ツバキに似ている。なにかで見た霜よけのための扇風機(?)が畑のあちこちに立っていて妙な景色ではある。走れずに歩く。
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登りきると程なく寺があり、小夜の子泣き石が鎮座していた。観光地らしくいろいろ茶店などが並ぶ。山の尾根を走っていくと涼み松とかいろいろある。やがてすさまじい急坂をくだると日坂宿に到着。自販機があったので大きめのを選んでごくごく飲む。なかなか感じの良い宿だ。古い町並みが保存されていて高札場がむかしのままの姿で残っている。こういう宿は何箇所かあるが、稀有な存在は大切にしてほしいものだ。
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やがて一之宮事任八幡宮。ことのままはちまんと読む。時間がもったいないので入り口で一瞬パンパンして一例してデジカメして通り過ぎる。だんだんばててくる。まだ半分も来ていないのにこれはいったいどうしたことか。そう。気温と直射日光のせいだ。相当な量の汗が出ているようだ。水分消費が多いのだ。

旧東海道#6 掛川

自販機を見つけてお茶を飲む。ごくごくと吸収される。汗で失われた塩分も補給するために、アルミフォイルに包んできた塩もなめる。用意がいい。我ながら。がまんして走るとやがて掛川宿に入る。七曲がりを間違わないように通る。七曲がりを出たあたりで一瞬道を失い、ワンブロック戻ることになる。危ない危ない。商店街のど真ん中を通る。銀行の建物のつくりが妙に江戸風にこっていてなかなか面白かった。掛川城がちらっと見える交差点でデジカメ。時間があればここも見所満載だ。
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駅前の商店街をはなれ、やがて国道に合流する直前でまた自販機休憩。お茶を補給する。工事中の公園の脇に座り込んでちょっと休む。あまったお茶はボトルに移し替える。とくに見所の無い道をがんばって走り続けるとやがて鉄道の高架を下をくぐる。すぐ公園があり、水があったのでまた小休止。ところが蛇口が壊れていて、水飲み用の蛇口からしょぼしょぼ出ている水を使って顔や手足を濡らすにとどめた。残念。

松並木を通ると高速道路のガードとなる。善光寺の前を通る。程なくまた大きな道と交差する。道なりに見当をつけて走るが、なんだか雰囲気が違う。農道のようだ。迷ったらしい。もうしばらく走ると正面に大型テントのようなものが見え、エコパらしいと判断する。500mほどで諦め戻ることにする。川の土手沿いにも走ってってみるがやはり違う。またまた戻り先の大きな道に。ガイドマップをよ~く見るとちゃんと説明してあるではないか。マップを見ながら走っていたのだが判断力がなくなってきている証拠だ。頭もふらふらということか。
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東海道に戻るとその何ともいえぬ雰囲気がありがたい。松並木。道標。説明板。やがて「東海道五十三次どまんなか東小学校」と大書してある小学校につく。校庭に一里塚がある。サッカーボールをネットにぶら下げた小学生がふたり走ってゆく。このあたりはサッカーが大変さかんな地域なのだと実感する。藤枝、掛川、磐田。この地名に商業とか東とかつければどれもサッカー強豪高校のできあがりと。
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旧東海道#6 袋井

だんだん脚が重くなり時折歩くようになる。磐田までは無理かも知れない。しかし袋井まではがんばりたい。常夜灯やら道標やら見つけるたびに停まってデジカメ。やがて袋井宿に入る。マップにしたがって斜めに進むと、「どまんなか茶屋」を発見。どまんなかとは京都三条大橋と江戸の日本橋のちょうど「どまんなか」という意味だ。日本橋から今回で六回目で真ん中まで来たということだ。

茶屋に入り込みおじいさんに帳面を出してもらい記帳する。疲労で手が震え字がうまく書けないがなんとか書く。じいさんとしばし話をする。お茶を出してくれ、梅干をいただく。東海道を走って走破することに興味を覚えたらしくジャーニーランの関係者かとか聞かれた。その本はもっているとか話した。ちょっと思いつき銭湯か温泉がないかたずねてみたが駅近くには無いとの事。駅の向こう側に温泉があるがちょっと遠い。一応パンフレットをくれたのでもらっておく。7~9分ほどお邪魔をしてから最後の走りだ。走り出したとたんに歩いていたおじさん(って。自分もおじさんだが)が突然振り向き「いよっ!がんばれ!」と
両手をぱちぱちして応援してくれた。びっくりしたぞ、もう。でもありがとー。すぐに本陣跡などがあり撮影する。その先にあったのは袋井宿場公園。しゃれた感じの公園でベンチもトイレも水もある。ここをゴールとする。茶屋から後は2分ぐらいしか走っていない(笑)。
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誰もいない公園のベンチに座り込み、休む。リュックのベルトや腰の辺りにが噴出して真っ白な跡がついている。汗の跡だ。どれほどのミネラルが排出されたのだろうか。トイレを使い、水で顔や腕や脚などを洗い冷やす。しばらくして汗も引く。さてどこで着替えようか。トイレは狭いので無理。誰もいないとはいえ野外では着替えられないし。で、袋井駅までゆっくり歩く。橋をひとつ渡るが、見ると妙に水が白っぽい。今日渡った大井川以外の小さな川はみなそうだった。いったいなぜだろうか?

駅前にトイレがあり、障害者用の広いトイレが空いていたのでそちらに入る。広い!荷物を置き、水を使いタオルを濡らして体を拭く。持ってきた大型ペーパータオルで体を拭く。お~気持ちよいぞ。素っ裸になり全部着替える。汗の臭いもふき取りすっかりリフレッシュしてトイレを後にする。

予約していたこだまよりひとつ前のこだまに間に合う時間だがどうしようか。とりあえず上りの鈍行が来たので掛川まで乗る。思いのほか混んでいて座れなかった。掛川につくと一つ前のこだまに急ぐ人の群れ。一瞬迷ったが、待合所が空いていたので休むことにする。缶コーヒーを飲み、家に電話する。ゆっくり休憩してから1604時のこだまに乗り込む。けっこう混んでいる。日曜日の夕方だものな。

デジカメとガイドマップをテーブルに載せ、どこを何時何分に通ったかをマップに記してゆく。170枚も撮影していた。今日はほとんど富士山を見ることが無かった。足首を伸ばしたり曲げたりすると気持ちよい。缶ビールでも飲みたいと思ったが寝てしまいそうな予感があったので我慢する。気づいたら東京だったというのは避けたいからな。

新横浜に1733時。家には1750時に無事に帰着。

★とにかくこれで東海道を半分、走破したことになる。
次回からは一泊しようかな。しかし二日連続でフルマラソンに匹敵する距離を走るのは非常に困難だろう。が、時間をかければなんとかなるかも知れない?

タイム  6:11’03”(ロスタイム90分ぐらい)
距離    37.8km(プラス迷って戻った分約1.2km)
心拍数  平均138  最大170  ピッチ152

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2010.01.05

旧東海道ラン#5興津~藤枝

旧東海道を走る#5 興津~藤枝

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2004年2月12日


出発

予定では興津~島田。あわよくばお次の金谷まで走ろうと思っていた。準備は万端。前日の天気予報では晴、気温もかなり高くなるという事だった。あまり気温が上がるとバテるので12度程度であってくれと思った。

朝0615時に起床。あんパンを一口二口。前夜準備しておいたものを身につけて出発。上の娘は起きてラジオの基礎英語3を勉強中だった。玄関の鍵をかけるように頼んで家を出る。0638時。サークルKでおにぎりとお茶の食料調達し0658時の上り横浜線に乗る。新横浜では時間があったので待合室でしばしくつろぐ。朝食はここで食べてもいいかなと思う。次回はそうしよう。こだまは発車時刻のだいぶ前に到着する事が多い。ひかりやのぞみをやりすごすためだ。なので早めに12号車の乗り口に行くと、女子大生らしきが輪行袋らしきをかかえて一番に並んでいる。どこかまで行き、自転車で戻ってくるのだろうか。彼女はそのでかい荷物を車両の一番後ろ座席の後ろの隙間に苦労して収納していた。良く見ると中身は自転車ではないかもしれない。パイプのようだったのでパラグライダーの様な物かもしれないと思った。結局はなんだか分からなかったが健闘を祈る。休日とはいえ早い時間帯だからかがらがらに空いていた。

こだま401号出発は0715時。曇っていて富士山どころか大山さえ見えない。三島で降り在来線に乗り換える。0800時。空いていて座れた。沼津、片浜、原、東田子の浦、吉原、富士ときて、0830時。このあたりから太陽が顔を覗かせはじめた。いいぞ。川幅の広い富士川を渡ると富士川駅、新蒲原、蒲原、由比。興津川を渡ると興津だ。前回走った沼津~興津間の街道は基本的にJRより北側を通っている。特に吉原では大きく北西側に迂回している。津波だか高潮だかで街道が何度も被害を被った為のルート変更らしい。

興津(おきつ)

ごとごととやっと興津に到着したのが0845時。けっこう長かった。トイレで着替え、駅前の公園で身支度をする。ジャージやウィンドブレーカ、フリース等をリュックに仕舞い必要なものを身につけて走り出したのが0855時。リュックが多少重く感じた。太陽は出ているがまだまだ寒い。

見どころを見逃さないようにデジカメを持って走る。まだ気温が低く、ガイドマップをもった左手とデジカメをもった右手が冷たい。手袋をしようかと思ったがリュックの一番底にある為、出すのが面倒だし、走り始めたばかりだからとしばらく我慢することにする。マップをもった左手の開いた指が特に冷たい。駅前からしばらく道路工事中で、拡幅工事でもしているようであった。清見寺でいかにも街道歩き人と見られる中高年男性を発見。実は同じ駅で降りたのを見て気づいていたのだが。一言ふたこと話をして、同好の志との遭遇に勇気づけられた。ただ、清見寺は見ていかれないのですが?と聞かれ、もったいないですが、走っているのでと答え、本当にもったいないなぁと思った。旧東海道も走りと歩きは別の楽しみかたなのだと自分を納得させる。歩きでじっくり見て回るのは歳をとってからの楽しみに取っておこう。

江尻

江尻(現清水市)(注:2009年時点ではたしか合併して静岡市になっているものと思う。しかし味気ない地名よりも駿府市という方が百倍すてきだと思うぞ。)に入り、持っていたガイドマップの区間が切れるところでなんと道を間違え、200m程戻る事になった。右に曲がる右に曲がるとそればかり思っていたので、目印の交差点で右に曲がってしまったのだ。だってそこがガイドマップの切れ目だったのだ。勘違いとはそういうもの。次のマップを出すためリュックを下ろして小休止。これでロスタイムが多分4分ぐらいか。先が思いやられる。ここで0931時。

正しい道に戻り右折ポイントを今度は間違えずに右折し、程なく今度は左折。稚児橋に到着。ここで小休止だ。橋の四隅の欄干の稚児像をデジカメし、橋の向こう側にあった稚児の休み石とやらに座り込んでお茶を飲み、フォイルに苦労して包んで来たを舐める。あぁ旨い。一度座ってリュックを下ろして飲み食いすると最低3分はかかる。

走り出すと旧街道らしさのある道となる。程なく真っ赤な巨大のれんを発見。目立つ事このうえなし。有名な追分ようかんだ。道標と店構えをデジカメする。休んだばかりだしそのまま走り去ろうかとも思ったが、張り紙に8:30から営業とあるのを見て思い返し、扉を開けて中に入ってみた。年配の女性が二人、正座で丁寧なお辞儀をされてびっくりする。230円也の一口羊羹をふたつ買い求め、街道走りの事を二言三言話し、暖かく見送ってもらい元気つけられた。ここでのロスタイムは5分ぐらいか。あ、そうそう、★ちびまるこちゃん★の家がこの辺りらしい。0955時。

草薙(くさなぎ)

東海道線の踏切が降りていて、一両しかない静岡鉄道の電車があっちに行くのとこっちにくるのとJRの電車が行くのを待たされた。ロスタイム3分ぐらいか。これからしばらくはJRの線路が旧東海道の左右にうねるように(JRの方が真っ直ぐで旧東海道がうねっているのだが)何度も交差するので、なんとも邪魔臭い存在となる。

千手寺を過ぎて大通りに出る。マップでは直進するように表現されているがそれらしき道がない。大通りを渡ってちょっと左に入る道を入ってみるが、どうも違う。いかん。しかたなく大通りを左右をキョロキョロしながら歩く。ほどなくこれでいいのではないかと思えて来た。1017時。草薙神社鳥居を発見しそれが確信に変わる。そこから一本裏通りを通る事になるのだが、間違えて左折したまま相当な登り道を上まで行ってしまう。気づいた時にはだいぶ高度をかせいでいて、マップをよおく見直して戻る羽目になる。このあたり最悪やな。正しい道に戻ってからはほぼ道なりに真っ直ぐだ。ここのロスも3分はあったな。

後刻、帰りの新幹線のなかで文庫本のガイドブックでこの区間を見てみたら、間違えようなく正しいルートが表現されていた。こっちを見ておけばよかった。一つのマップだけを頼りにしてはいけないという事だな。牛肉の輸入をアメリカだけに頼るなということだ。バックアップを用意しておいていざという時にそれを利用しろということだな。

府中

東名高速の橋脚をくぐり、先の大通りを渡りJRの線路脇にある旧東海道記念碑のベンチにて小休止とする。あんパンを食べ、さっきの一口羊羹を食べてみよう。まず袋が開きにくい。開けると手がベタベタになってしまう。竹の包みを開けると羊羹というよりはもっとねっとりした別の和菓子だと感じた。口のなかで強く粘る感じで食べにくくお茶で流し込んだ。竹の皮のかけらが口に残りぺっと吐き出した。一口では到底無理で1/3だけ食べ、周りがベトベトにならないように慎重に包んでリュックにしまう。携行食というか行動食には向かない食べ物だった。ここでのロスタイムは4分ぐらいか。1038時出発。

JRをくぐる為にトンネルに入る。狭く暗いトンネルは車も通るので危険だ。幸い、車とは遭遇せずに済んだ。トンネルを出ると今度は国道1号を渡り静岡鉄道沿いに走る。途中、踏切がありしかしその手前も向こう側もフェンスで遮られていて誰も通る事が無く、まったく何の意味も無い踏切がカンカン鳴っていた。向こう側の土地にあったものがつぶれてさら地になっているので、昔は意味があったのだろう。護国寺を右手に、大きなジーパン屋のところでまた国道を渡る。JRの下をくぐりこがね橋というのを渡って進み、またまたからみつくようなJRの下をくぐる。国道1号を渡り(もう何度めか?)、静岡の駅前の賑やかな街中に入る。五叉路があり、駿府城のお掘らしき景色をデジカメ。横断歩道が無く困っていると地下道で渡るようになっていた。右折するとこぎれいな繁華街。札の辻で左折し、コンビニに入りトイレを借り、お茶を買い小休止。1125時。右折ポイントが分からず100mほど行き過ぎて戻るとさっきのコンビニがポイントだった。ちなみにこのコンビニの住所はレシートによると静岡市七間町18-1だった。

さてこの府中宿では五回の曲がり角があるのだが、右折してから最後の左折ポイントが分からずまたまた行き過ぎて大通りにまで来てしまう。信号待ちの自転車の女性に道を尋ねた。とにかく行き過ぎた事だけは分かったので戻りその近辺をうろうろしていると、さっきの自転車の女性がわざわざ戻って来てくれて、あそこのカメラ屋の所ですよと教えてくれた。大感謝!本当にありがたかった!しかし、この近辺でのロスタイムは痛い。

左折ポイントからは地味な道が真っ直ぐ続き、安倍川手前の公園にて大休止とする。1142時だ。ベンチでおにぎりを食べあんパンを食べ、お茶を飲んでいるとハトが大量に集まって来てエサを期待しているようだった。エサをやるバカが街中のドバトを養っている事実を苦々しく思ってるので完全無視を決め込み、足元にまで寄ってくるハトに時々ケリ(当たらないように)を入れたりした。しかしまわりでばたばた羽ばたかれて★鳥インフルエンザウイルス★とやらをまき散らされて吸い込むのは是非とも願い下げなのでケリは2回で止めた。日本野鳥の会の古い会員であり、野鳥には深い愛情を抱いているが、その反面野鳥ではないドバトにはちょっと冷たいかも。既に予定より遅れていて、まだこの先が長いので、ゆっくりはしていられず、由比小雪の墓やらを撮影して、大休止8分ですぐ出発。

橋手前に安倍川餅屋がありこれも撮影。この安倍川餅は「あべかわ」と濁らず発音する。JR駅の名前も安倍川「あべかわ」である。で、川の名前はあべかわかあべがわか?普通はあべがわと読みそうだが、どっちであろうか?ともかく、長い橋を渡ると丸子だ。

丸子

丸子と書いてただしくは「まりこ」と読む(はず)。昔は鞠子と書いていたわけだから。地図にも「まりこ」とフリガナがふってある。でも最近は地元の人も「まるこ」と読んでいるらしい。この辺りはひなびた旧街道と、強力な存在感の国道1号が左右するようになる。左手の山の表皮がはぎ取られていて、悲惨な光景にぞっとする。吉原の醜悪な製紙工場以来の嫌悪感を感じた。土砂でも採取しているのだろうか。採石場か。そういえばこの近辺、石屋が多いような気もした。最終的には緑で覆うのか?

国道の一本裏通りを走る。明治天皇のなんたらという石碑。左手の家、新聞販売店かなにかだと思うが、店先で作業をしていた若い女性とふと目が合い、なんとにっこり会釈をされる。ピンクのきらきらしたジャージ姿だったので運動会系の女子高校生のバイトと見た。一瞬あせったが会釈を返して、★元気倍増★で走り抜けるのだった。がんばって!と励ましてくれたのだ。しかし自分の娘と同世代に街道走り屋が分かるのだろうか?

程なく有名な丁字屋に到着。1222時。うわさには聞いていたが、完全な観光地となっていて国道を車や観光バスで来た大勢の観光客がうじゃうじゃ居てぎょっとした。見た目は立派なので何枚かデジカメする。立派な藁葺き屋根で安藤広重の東海道五十三次の鞠子のモデルとなった家に似せて造られたらしい。名物とろろ汁ののれんが誘惑していた。左折して橋を渡り国道脇の街道を再び辿るが、すぐに国道に合流。しかしその地点でまた道に迷い300m程の無駄道を辿り戻る。この辺りから全身の疲労感が顕著に現れ始め、早くも歩きたくなってくる。車線数が多く幅の広い国道を渡る横断歩道などなく、歩道橋を登り降りせねばならないのが膝に辛くなってくる。ただ、そのおかげで歩道橋脇にある仏像の写真を撮れた。

高速道路のような国道1号の歩道を我慢して走り続けると「道の駅」というのに辿り着いた。1255時。ベンチやトイレ、自販機などがあるので大休止とする。お茶を飲み、一口羊羹の残りを食べ、スニッカーズをかじる。塩を舐める。お茶のペットボトルを買い、それにも口をつける。9分のロスタムで再び出発。

国道の巨大なトンネルを正面にみて右折すると、一挙に400年ワープしたような古い街道の町並みが現れ驚く。宇津ノ谷だ。奇跡的な光景を何枚かデジカメし、今回唯一の山越えに入る。本当に山道を登る。と見晴らしの良い地点にベンチがあり、一組の夫婦らしき男女が休んでいる。当方ももともと苦しい上に山道を登った為ちょっと休憩。こんにちはと声をかけると、あまりに寂しい山道なので不安になっていたらしいようで、この道で岡部に通じるのかと聞くので、この道でいいですよとか答える。1~2分話をし、心拍数が落ちついたのでまた出発。後で気がついたが、ここは宇津ノ谷の町並みを見下ろす絶好のビューポイントだったのに、その景色を見逃してしまった。残念。走り出すともうしばらく登りが続き、走れなくなりまた歩く。山道なのに工事中になり、なんらかの整備が行われていた。下りに入るとまた工事。まっさらなアスファルト道路になりなおも下る。下りきるとまたまた国道1号と合流。

岡部

あ~いやだ、この国道1号。渡る為に一度歩道橋を渡る。こういうのが地図上では距離ゼロなのに、実際は登り降りで体力を奪うわけだ。岡部宿に入りしばし国道から離れほっとする。やや下りなのだが、もう体力は限界に近づいて来ているような状態だった。予定ではこのあと藤枝、島田。できれば金谷まで行こうと思っていたのだが、ぜったいに無理と感じた。時々歩きを交えて頑張る。このあたりもよく整備されたきれいな旧街道だ。だが当方には目で楽しむ余裕が無かった。三輪病院というのがあって休診日なのだが、入り口前にベンチがあったので勝手に使わせてもらって小休止とする。月曜日の朝などは元気な婆さんなどが多数集まりこのベンチに座って話しの輪になるのであろう。お茶を飲みスニッカーズをかじり、塩を舐める。最悪、藤枝までバスでもタクシーでも使って帰る事になるかも知れないと覚悟する。1347時だった。

動かぬ身体に鞭打ち、腕をしっかり振ってゆっくりでも走り続ける事を心掛ける。走りかたをちょっと変えてみて膝をなるべく低く保ってみたり、歩幅を長くしたり、短くしたり、別の筋肉の使い方して疲れかたを最小にするように工夫をこらす。デジカメも残り容量が少なくなり、すててもいいようなものを削除する。歩きながら。数日前のホウレンソウの写真など全部消してしまう。しかしよく撮ったな今日は。国道1号の下を通り、横内橋を渡り、法の橋を渡り、川沿いに走る。停まらずにゆっくりでも走り続ければなんとかなる。先ほどの山越え以来川の流れが進行方向向きに変わっている。分水嶺を越えたというわけだ。

藤枝

なかば意識も朦朧と(ちょっと大げさだが)注意力も落ちていていろいろなものを見落としているような気がしていた。とにかく止まらないように走る。走る。走る。右手に巨大な大木が出現しびっくり仰天。思わず立ち止まってしまう。須賀神社の大楠だ。根回り(ってどこの事か?不明だが)15.2mとのこと。もちろんデジカメする。が、表現が難しい。いかに巨木でもそれだけを撮ってもその巨大さは分からない。しかし、構図を検討したりする心の余裕はまったく1ミリたりとも無い。ただとにかく写すのみ。1423時。

1433時、成田山前を通過。賑やかな街中に入る。藤枝市のマンホールや消火栓の蓋などもデジカメする。けっこう凝っていたりするのだな。市によっては。半ば歩き、ゆるゆる走りを繰り返しだましだましなんとか瀬戸川をやっと越える。最後1キロほどで大通りとの青木交差点。渡ったところで本日のゴールとする。感動はなく若干の安堵感となんとも言えぬ無念さでいっぱいだ。写真を撮り次回の出発地点を記録する。ここは江戸日本橋から193km。本日のスタート地点が155kmなので約38km。1500時だった。

ゴール後

そこから藤枝駅まで約1キロとぼとぼと歩く。駅前には三階建てぐらいのダイエーみたいなスーパーがあるだろうからそこのトイレで着替えたり水を使ったりしようと思っていたが、そんなものはなく駅に着く。1511時。トイレで着替え、洗面所で顔や腕を洗い流し、タオルを使ってさっぱりする。しばらくぶらぶらし、駅前のロータリーに誰やらの銅像があるので近づいて名前を確認してみたが、まったく知らぬ名前だった。駅ビルにロッテリアがあったので入って休憩しようかとちらと考えたが、早く帰れるかも知れないからと思い直し、だいぶ早いが電車に乗る事にする。

窓口で島田~新横浜の乗車券が藤枝からでも使える事を確認して自動改札を通る。ホームのベンチで陽に当たりながら休むと程なく電車が来た。しかし三両編成でベンチを素通りして離れた所に止まり慌てて電車を追いかけて乗り込む。あせるじゃないか。1535時。がらがらで殆ど乗客無し。20分程で静岡に到着。1555時。座席指定した新幹線は1615時発なのでゆっくりできると思っていた。が、その一本前のこだまが停まっていたのでエイヤと乗り込んでしまった。禁煙の自由席ががらがらだったので富士山側に座る。ラッキー!13号車5E。1558時に出発。余ったあんパンやおにぎり、一口羊羹を食べお茶も空にする。足首や腰を伸ばしたり曲げたりしながらダメージの軽減を図りながら景色を楽しむ。そういえば、今日は、朝から帰りまで一度も富士山を見なかったし見えなかった。一番よく見えるポイントである新富士駅からも富士山のあるあたりに漠然とおおきな雲があって、まったく見えない。他は晴れているのに。小田原を過ぎたあたりの酒匂川では河原にゴイサギが見えた。まだまだ日は落ちてない。進行方向に向かって左側の窓から後ろの方にまんまるいオレンジ色の太陽が見えている。

最後の波瀾

新横浜到着は1704時。なんとまだ日没してない。日が長くなったものだ。ホームのごみ箱にペットボトルその他のゴミを分けて捨てる。改札では記念のために「無効」の印を押してもらって切符を持ち帰る。すると、横浜線でたった今事故が発生したので上下線とも停っていますというアナウンスが流れどきっとする。今日はこれまで交通の便は支障無くスムーズだったのになんで最後こうなるの?最悪の事をちょっと考えてみる。

地下鉄で岸根公園か片倉町まで行き、バスを待つことになるか。疲れたこの身にそれはちょっと辛いぞ。堪忍してくれ。とりあえず停まっていた横浜線」下り電車に乗り込み、ただひたすら心の中で祈りながら待つ。5分後、上り電車が先に発車し続いて下りもやっと出発しほっとする。小机のトンネルを出た踏切近くにパトカーが停まっていた。乗客が「あれよ!あれ!」とか指さしていた。赤いライトが点滅していた。自宅には1730時に着く。

天気はほぼ晴れ。気温は高くなるという予報だったが、体感的にはやや寒く、走るのにはちょうど良いコンディションだった。予定の島田まで行けず、非常に残念だが、無事戻れてほっとした。ちなみに撮影した写真は今回約170枚。64MBのCFカードだが、大容量512MBとか1GBのに変えたいな。あ、でもその前にデジカメも最新にしたいとか、あ~いかんいかん。切りがない。

これで日本橋から京都三条大橋までの約4割を走破した事になる。53次のうち22宿まで到達だ。
日本橋、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根、三島、沼津、原、吉原、蒲原、由比、興津、江尻、府中、丸子、岡部、藤枝だ。
この後どうなることやら?

距離  38km
タイム 6:05’30” 歩きも含む(ロスタイムは約1時間20分)
心拍数 平均142 最大178

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2009.12.29

旧東海道ラン#4沼津~興津

旧東海道を走る#4沼津~興津
2003年12月9日

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旧東海道を走るシリ~ズその4!
日本橋~戸塚、戸塚~小田原、小田原~沼津は走破したので、次は沼津~江尻だ。という予定でいたのだが、結局江尻(清水)の一つ手前の興津(おきつ)までしか行けなかった。

行きは新横浜~三島が新幹線。三島~沼津が東海道線。帰りは興津~静岡が東海道線。静岡~新横浜が新幹線。と行きも帰りも新幹線を利用した。ちょっと贅沢だが、朝早起きをしなくていいのと、帰りに鈍行で3時間弱(2時間50分)もかけたくなかったからだ。
それにしても静岡だ静岡!すこし手前だけど。興津~清水~草薙~東静岡~静岡とJR東海道線は続く。興津から新幹線で新横浜まで戻るには東海道線上りに乗るには、なぜか三島まで戻らないと新幹線と交差しないのだ。だから静岡まで戻るのだ。

天気が良く富士山の写真を何枚も撮った。薩た峠からも富士山が見えよくある構図の写真も撮れた。今回は合計で150枚ほどか。走り的には後半結構苦しく、歩きもはいった。
フルマラソン以上の距離は自分には無理なのだろうか?と思った。これで日本橋から約160km走った事になる。1年半で。

                      実走タイム  グロス
1.日本橋~戸塚 約41km 約4:30’ 5:9’17”
2.戸塚~小田原 約40km 約4:20’ 4:50’02”
3.小田原~沼津 約37km 約5:00’ 6:27’
4.沼津~興津   約42km 約5:18’ 6:26’50”
だんだん「走り」以外の比重が多くなってきたような気がする。というか単に遅くなっているのか。

距離:41.7km、タイム:6:26’50”、ネットで5:18’(ロスタイムは約68分ぐらい)、心拍数:平均142、ピッチ155

吉原の製紙工場群

原から吉原に近づく道は一直線で、その先に真っ白い煙をもくもくと吐き続ける高い煙突が目印になる。煙は真っ白でやがて雲と同化するようだ。吉原に近づくと製紙工場の巨大な建物が目につく。異様だ。異常に高い建物の上の方に小さな窓がいくつか。中はどうなっているのだろう。なにか前世紀の遺物のような、あってはならない邪悪な存在のように見える。さらにかすかに異臭がする。普通に生活していては絶対にかぐことのない、なにかの化学薬品なのだろうか?ひどい臭いとまでは言えないが、かすかにこういう異臭がするということに一種異常な悪いことがこの大工場のどこかで行われているという証拠のように思えて来る。工場脇の道路の排水路はどこにでもあるようなものだが、そこに工場から伸びてきた排水管が何やらの煙をともなう液体を吐き出してる。いかん。こういう状況は見てはならない許されない行為を目にしたような気がする。公害華やかなりし頃にはどれほどの異臭と汚染物質が排出されていたのだろうか。こういう工場が何カ所もあるのだ。
東海道を走ってきて初めて「悪い」ものを見たような気がした。でも、ガイドブックもマップの紙もこういう製紙工場でつくられたものだろう。ふだん何気なく使っているものの製造工程なんか気にしないからなぁ。でもビール工場は見たが、そう悪い感じはしなかった。吉原の製紙工場群の煙突と煙は蒲原・由比・薩土垂峠からでも目についた。

富士川

吉原から蒲原の間で富士川を渡る。大きくて強力な川だ。多摩川とか鶴見川とか相模川とか酒匂川にはない「荒々しさ」を感じた。平野を緩やかに流れる川ではなくて山地から直接流れて来る水量が多く短い川だからだろう。富士川を渡ると遠く富士山が美しく見える。土手に常夜灯があり、常夜灯・富士川・富士山の3点セットの絶好の撮影ポイントなのだが、残念ながら付近が工事中で、無粋な工事用フェンスが景色をぶち壊していた。あ~がっかり。角倉了以(富士川の土木工事を行った豪傑らしい)の記念碑と高瀬舟をかたどった植え込み等もあった。ここで、目の前のファミリーマートで入手したおにぎり2個を食べ、お茶をたらふく飲んで、大休止とした。だいたいここで半分ちょっと過ぎたあたり。23km。

身体の痛みを感じながら

今回はスタート直後からあまり調子が良くなかった。ほんのかすかに頭痛がしたのだ。しかしほどなく消えなんとか普通に走る事は出来た。ただ、補給も問題だった。沼津の浅間神社を出てから吉原駅まで真っすぐ一直線。これがけっこう幹線道路なので、まちなかの小さな公園が無いのだ。30分毎に給水と食料の補給をしようと思っていたのだが、その場所が無くずるずると行ってしまった。原の浅間神社で小休止したのがスタートしてから43分後。その次の小休止が、その後約1時間後となってしまった。この最初の補給不足がすぐにたたってきた。吉原あたりで約半分ぐらいかと思ったが、既に右足のふくらはぎに違和感を感じ、なんというか「攣りそうな」予感とでも言うか、あまり感じたことのないかすかな痛みが出だしたのだ。これは大変と、急に力を加えないように緩めに走るよう心掛けた。しかし当初の予定である江尻(清水)までは到底無理だろうと諦めた。しかし興津までは頑張りたいが、果たして持つだろうか?不安を抱えながら走った。

富士川を越えたあたりから今度は左足のふともも前面に軽い痛みを感じだした。東名を越えて蒲原へ下る道で下りが辛くなっていた。やがて全身に疲労感が圧倒的になってきて、時に歩きを交えたり、撮影の為の小休止を多めに取り、だましだまし進んでいった。薩土垂峠(さったとうげ)への登りでは歩いて後ろを振り向きながら富士山を撮影していると後ろからジョガーがゆっくり走ってきて追い越していった。当方には張り合う気持ちは多少あったが身体が言う事を聞いてくれず、よろよろ走り歩いて行った。

薩土垂峠を降りるとすぐに興津かと思っていたが、なんのなんのあと2km以上もあると知り、がっくり来たが、最後の頑張りでなんとか走ってゴールまで辿り着いた。当初予定していた江尻まではここから7.1kmもある。とうてい無理だ。時間も遅いし、予定している新幹線に間に合わなくなる。ここまでで約42km。フルマラソンと大体同じ距離だ。見るところを見て、撮影もして、しかも走るのだから欲張りといえばその通り。走るか見るかどちらかにしろと言われればそのとおりと思う。しかし、ただ走る為に家の近所を42km走るのはちょっとねぇ。東海道ならばがんばれる。で、東海道を走るなら、ついでにデジカメでスナップ写真を撮りたいし。東海道を走るのは運動会系と文化会系の両方の趣味が合体したものだ。趣味だから欲張りなのだ。

ちょっと脱線した。新幹線で足首の屈伸をしているとどうも、左足の外側に軽い痛みが有る。それから右足の足首を上に向けるとうまく上がらない。これは昔サッカーをした後に見られた現象と同じだ。スネの筋肉が痛んでいるのかもしれない。ちょっと痛いというのがミソで。それが何とも半ば心地よい。ぐ~~~~っと足首をそらす。心地よい痛みがわ~~~~っと身体中を駆けめぐる。今度は逆方向にぐ~~~~~っと反らすとまた別の軽い痛みが気持ち良い。これ以上やると攣るかも知れないという微妙なところで力を緩めると快感が最大になる。工程を走り終えた安堵感と暖かさで眠くなりながらもこうして新幹線では足首を反らし続けた。他には乳首にも痛みが有る。今回着用したTシャツはバードウォッチング検定の帰りに渋谷で購入してきたものだが、前回の箱根でも同じように乳首がすれて痛かったのをわすれていた。ワセリンでも塗っておけば良かったかも。あるいはバンドエードね。楽しみの為の少しの犠牲ならばそれもまた楽しだ。

富士山を追い越す

日本橋~戸塚~小田原~沼津とだんだん富士山に近づいてきた。今回は沼津~原~吉原~蒲原~由比~興津と来たわけだが、沼津では進行方向に向かって右前方に富士山が見える。手前に愛鷹山があって少々邪魔なのだが。原も同様。ただ、だんだん愛鷹山が右にどいてくれる。吉原では街道が右に大きく迂回するあたりで、有名な左富士があり、そこでだけ富士山が真正面やや左に見える。だが道が曲がるにつれすぐに右富士に戻る。平家越えの橋あたりでほぼ真右となり、後はだんだん右後方になっていく。つまり、だいたいこのあたりで富士山を追い越した事になると思うのだ。富士川の橋を渡ったあたりではもう完全に右手後方となり、とはだんだん離れて行くのが実感できる。しかし、富士山の凄いところはこれからで、離れれば離れるほど、富士山が大きく見えて来るのだ。そんなばかな。いや、たしかにそうなのだ。
つまり、富士山から離れるほど、その手前の低い存在が見えなくなってきて富士山の高さがが際立って来るのだ。手前の邪魔な山がどんどん低くなってきて富士山がどんどん背伸びをしてくる様に見えるのだ。そして、その絶景は薩土垂峠(さったとうげ)の有名なビューポイントで最大になるのだった。

さった峠

薩土垂(さった)峠
今回のコースで一番の見どころである。海に面した山の中腹から山の斜面越しに遠く富士山(天気がよければ)、眼下には東名高速・国道一号がうねうねと狭い海岸線を通り、右手には駿河湾、その先には伊豆半島の山並みが見える。当日は天気が良かったので、幸い富士山も見られ、写真も撮れた。このビューポイントにカメラマンが二人来ていて、三脚に一眼レフを取り付けて、初対面であろうがここの構図がどうのとか話をしていた。こちとらのデジカメは描写力が低いので、遠い富士山に明るさを合わせると手前の日陰になっている高速道路は真っ黒につぶれるし、逆におもしろい形の道路に合わせると富士山が真っ白に飛んでしまって写らない。ラティテュードの高いリバーサルフィルムを使わないときれいに撮れないわけで、自分のデジカメではいつも不満を覚えるパターンである。最新のデジカメではどうだか知らないが。EOS-Kissクラスではばっちり撮れるだろうなぁ。しかし、片手に持ちながら走れるようなサイズ・重さのデジカメではまだ無理だろう。今回は、今回のコースを象徴する写真が一応撮れたので満足である。

薩た峠の「た」の文字は土ヘンぷらす垂直の垂で、別に難しい字ではない。ところが、JISにないらしくフォントはどこにもないそうだ。東海道関係のいろんなホームページでも扱いに苦慮していて、「薩た」「薩タ」「さった」などで表現したり、手ヘンに垂の別字で代用したりしている例もある。また、グラフィックスを利用して正しい字を作りだしている所もある。
こういう珍しい存在の字が地名として普通に使われているんだよね。現地では。JISなどの新しい規格が古くからある漢字を切り捨ててきたという実例だ。もし、JR興津駅が「薩た駅」だったらどうなっていただろうか。書物などの活字は問題ないだろうが、パソコンで表示できない駅名だと困っただろう。もしかしてその様な例は実際に他にあるのかも知れない。

帰りの心配

6時間半も走りっぱなしで大変な量の汗をかいたはずで、問題はその処理。今回はゴール地点の興津駅前の小さな公園を使った。この公園なぜかテープで囲ってあって、入れない様にしてあるようだったが、かまわず入ってしまった。ベンチにどっこらしょと腰掛けてひと息つく。駅には電車を待つ人々がたむろしていてまる見えだし、トイレも無い様だ。で、タオルを取り出し顔や腕、背中やお腹の汗を拭き、しばらくしてから上からジャージとウィンドブレーカを羽織る。
興津から静岡までの電車はガラガラで、田舎はいいなぁと思ったが、そこでふと自分の汗のにおいが初めて気になったのだ。むむっ!?いかん。臭いぞ。なんとかせねば。静岡駅で新幹線への乗り換えに時間があったのでトイレで顔や腕を水でしっかり洗い、一番汗を吸っていると思われるTシャツを脱いで、あったかいふわふわのハイネックをじかに着て、その上にウィンドブレーカを羽織った。これからはほとんど新幹線の中だから、ペラペラのウィンドブレーカとこれの合計2枚だけでもそう寒いことも無かろう。新幹線の中では洗面所でもう一度顔や腕を洗った。前回の小田原~沼津では沼津の千本浜公園で着替えたが、結構このゴール後の汗の処理と着替えが問題なのだ。えてしてゴール地点は人の多い場所になるので、なかなか良い着替え場所が無いのだ。日本橋~戸塚のゴール地点には丸井があり、トイレを有効に使わせてもらった。今回は実は江尻まで走るつもりだったので、清水駅前は調べてあった。西友の清水店というのがあり、大型店であるというので戸塚の丸井と同じようなトイレがあるはずだった。が、いかんせん、興津駅前は調べていなかったのだ。ま、調べていても大して違いはなかったろう。大事なのは事前の調査、しかし最後は度胸。帰りの新幹線 こだま468号帰りの新幹線の指定席は切符で確かめると12号車の15のEだった。座るとけっこう前の座席との間隔が広い。横の座席との間隔はそれほどない。新富士か三島か忘れたが、ご婦人が乗ってきてその座席は違いませんか?とのたまい切符を見せてくれた。たしかに15のEと書いてある。ま、まさか日付でも違っていやしないかと一瞬不安になり、自分の切符を取り出して見せると、なんと16のEと書いてあるではないか。あ~自分が間違っていた!謝って笑ってごまかして前の席に移動した。最初に確認した時に見誤り、それをずっと信じていたのだろう。疲労感と安堵感の中でのヒューマンエラーということ。富士山側の窓際の席は富士山がよく見える様にと思って指定したのだが、4時半を過ぎると日没で、三島あたりですぐに暗くなってしまった。疲れた果てた身体を暖かく安全、快適に、猛スピードで家に運んでくれる新幹線ってスゴイ。しかも窓の景色も楽しめるし、携帯のiモードも使えるし、飲み物やお土産まで売り歩いて来るし、もちろんトイレも洗面所もあるし。こだまは各駅停車でしかも、ひかりやのぞみの通過待ちをする為に各駅で6分とか10分とか待ちをするので、せっかちな向きには向かないかもしれない。京急で各駅停車に乗る様なもの。しかし自分にはその時こだまは最高の文明の利器だった。こだまの乗客はサラリーマンの日帰り出張帰りらしきが2/3ぐらいと見た。熱海でそのサラリーマンが大量に降りたのは何故だか分からない。熱海から通っているのか?静岡方面に?あり得ないと思うぞ。これは結構謎だ。

常夜灯

簡単に言えば今の「街灯」に相当するだろう。ただ、それだけではなく交通標識、ランドマークの役をはたしていたと思われる。しかし江戸時代にはそんなものはめったにあるものではなく主要交通路の要所要所におかれたものである。石で出来ていて洪水や地震でも無い限り長持ちする。だから今でも残っている。秋葉山常夜灯というのが吉原以降に至る所に(というか何カ所も)見られた。この秋葉山常夜灯というのは一体なんなのだろうか。秋葉山という大富豪がいたとか?何かの宗派とか?調べてみるのも面白そうだ。

道間違え

今回は初めての区間ゆえ、事前にいろいろと予習をして望んだ。「誰でも歩ける東海道五十三次」という本は手書きの地図が延々と日本橋から三条大橋までを詳細に描いていて非常に参考になった。またさんさくマップという静岡県が出しているガイドマップの該当箇所4枚は持参し、該当箇所のものを握りしめて走った。「誰でも歩ける東海道五十三次」は事前に何度も文を読み、地図のルートを目で辿るうちに間違えそうな要注意分岐点や目印、撮影すべき記念物などが自然と頭に入っていった。走る前から既に一度通ったことが有るかのような気になっていた。ほとんどの区間でそれは報われたのだが、やはり後半疲れて集中力が切れてきたころにミスが生じた。由比駅周辺だ。由比宿と由比駅は離れていて、広重美術館から道なりに行けば由比駅なのだが、その少し手前で右に折れる箇所があり、注意してなんとか電機という看板を探しながら走ったのだが、残念ながら見つからず由比駅に到達。マップをよく検討して、時間も勘案して迷った末、戻ることにした。さらに慎重に看板を探しながら走ること2分。目的の看板を民家の2階の屋根あたりの非常に高いところに発見。こんな所ではみつからない訳だ。そこから細い階段を登り車の多い道に出てさらに西に進んだ。これでほっとしたのだろう。道なりに進んでしまった。すると海岸べりの国道に合流しそうになる。おやヘンだぞと気付きマップを調べると、分岐点を見落としていたことが判明。約100m戻って右への分岐をやり直し旧道に分け入った。そこからは薩た峠への最後の区間だった。後は小さなミスが一カ所。
富士川から蒲原の間で新幹線の下を通る場所。本来の東海道は直線なのだが、新幹線に遮られてしまった為に少し手前から左に折れ迂回する。新幹線をくぐったところですぐに右に進み本来の直線に合流するべきだったのだが、迂回したまま道なりに進んでしまい本来の道を100mぐらい逃してしまった。

一番心配していたのは吉原のJR吉原駅から富士川の区間だった。曲がり角が多く要注意箇所の連続だからだ。が、探すべきポイントがしっかり分かっていたため、問題なく走ることが出来た。

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2009.12.22

旧東海道ラン#3小田原~沼津

旧東海道を走る#3小田原~沼津

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2003年11月16日

11/16(月)
410  起床
457  横浜線上り始発
511  東神奈川着
517  京浜東北線発
519  横浜着
527  下り東海道線発
621  小田原着
640  松原神社着
650  ★スタート
729  三枚橋 休憩5分
  ?  コンビニでお茶を買い 休憩3分
801  須雲川IC 休憩3分
830  畑宿一里塚 休憩5分
904  旧街道資料館 休憩3分
914  旧街道入り口 休憩5分
934  賽の河原 休憩2分
938  芦ノ湖 休憩5分
949  箱根関所跡 休憩5分
1010 箱根峠 コンビニで大休憩10分
1025 西坂入り口 休憩3分
1035 接待茶屋 休憩3分
1051 山中新田 休憩2分
1100 芝切地蔵 休憩1分
1107 富士見平 休憩3分
1132 馬頭観音 休憩5分
1152 錦田一里塚 休憩3分
1201 東海道線踏み切り 休憩1分
1210 三嶋神社着 大休憩9分
1219 発
1224 三石神社 信号待ち2分 踏みきり待ち2分
1237 伏見一里塚 休憩2分
1247 智方神社 休憩2分
1302 平作地蔵 休憩3分
1317 ★浅間神社にゴール 大休憩5分
1332 千本浜公園の海岸にて大休憩15分
1402 浅間神社
1417 沼津駅
1427 上り東海道線各駅停車発
1608 横浜着
1611 京浜東北線発
1613 東神奈川着
1617 横浜線発
1632 鴨居着

★RUN
小田原の松原神社から沼津の浅間神社まで6時間27分。飲食やデジカメ灯のロスタイムが87分で実質5時間ちょうどで37km。高低差約850mの上り下りももちろん含む。平均心拍数は139、最大177、ピッチは151。もちろんデフォルトで走ったのだが、上りが続いたり、急な上り(階段など)では心拍数があがりすぎないように速度を落としたり、歩いたり、立ち止まったり、休憩したりと慎重に調整しながら走った。そのせいでダメージも殆ど無く予定の沼津まで辿り着く事が出来た。さすがに最後の三嶋~沼津間はスピードが落ち、たったの7kmなのに約1時間もかかっている。信号待ちや踏みきり待ち、デジカメなどしながら休み休み走り通した。山越えの37kmは平地の42km以上の負荷があるものと思うので、これから先の(やれるかどうかは分からないが)区間では42kmでも平気だろうと思う。ただ、山越えを慎重に走るのとは異なるので、逆に言えば平地であれば自重が難しくて早めにダウンするかも知れない。ま、今回はめでたしめでたしだ。

★ガイドマップ
今回持参したガイドマップは3枚。ガイド本の文庫本も一冊リュックには入れておいたが、使わなかった。マップは神奈川県のものが一枚、静岡県のものが2枚。互いに県境を越えた辺りまで掲載してオーバーラップさせるべきなのだが、如何せん、いかにもお役所仕事らしく、「きっちり」県境までしか載せていないのだ。箱根峠の県境あたりが、迷いやすい箇所なのにだ。県境を越えるまでは神奈川県のもの、三島までと三島からで後の2枚は使い別ける。このガイドマップを手に丸めて持ち、ポイント毎にちらちら確認しながら走るのだ。昨年走ったので殆ど問題無かったのだが、今回は一カ所だけ無駄に戻ったところがある。畑宿手前の石畳から別れて県道をしばらく行き、左に降りて行く辺りがマップと異なっていたのだ。100m程一旦戻りまた戻ったので200mぐらいはロスした。これ以外には間違えたところも迷うところもなく順調にたどれた。三島から沼津の区間は初めてだったが、マップがしっかりしていて問題無かった。事前の検討では、けっこう曲がり角が多く間違えやすそうな危険な気配がしていたのだが、マップのおかげでぜんぜん大丈夫だった。

★秋か冬か
昨年に較べて時期が約半月ほど早く、まだ「秋」だった。昨年は明らかに「冬」だった。気温も昨年ほど低くなく最初からウィンドブレーカは不要だった。雪も一カ所も見られなかった。ただ、紅葉が楽しめるかなと思っていたのだが、きれいな箇所を探す余裕は無く休憩時に美しい景色に気づく程度だった。まだ時期的に早かったのかも知れない。

一番寒かったのは東海道線の電車の中での小田原直前あたりと小田原駅から松原神社までだった。日は昇っていたがまだ地面を暖めるには至らない日の出直後の時間帯だったからだろう。日が昇ると、天候も良く、暖かかった。東京で木枯らし一号が吹いたらしいが、そんなことは信じられない様ないたって穏やかな一日だった。

★富士山
富士山は全般的に雲を被っていてよく見えなかった。東京からはよく見えたらしいが。芦ノ湖では少し。富士見平ではまったく見えず。千本浜公園からもぜんぜん見えず、たぶんあちらだろうと言う方向の写真は撮ったが、家に帰ってしらべたら思っていたのとは異なる方角にあった雲が富士山を隠していたことがわかった。今回、一番まともに見えたのは黄瀬川の橋の上からだった。富士山を遮るものが少なく手前に川が入りなかなかの景色だった。しかし、歩道の無い狭い橋で交通量が多く、さらに橋の向こう側に交通整理員がいて、こちらを気にしてくれていたのが見えていたので、橋のど真ん中に立ち止まってのうのうとデジカメすることが出来ず(いやいや!やれば良かったんだよな)橋を渡ってから写したが、手前の景色が悪く満足できる出来にはならず後悔した。

★石畳
昨年は石畳が雪に覆われていて石畳の走りにくさよりも雪の走りにくさが勝っていたのだが今年は石畳自体の走りにくさを思い知った。コケで滑りやすかったり、尖っていて着地に非常に神経を使ったり、凸凹が激しいせいで脚をより高く(ほんの数センチとは思うが)持ち上げないといけなかったり、たまにぐらついている石があったり、などなど足首を挫かないように、転ばないように気をつけて走る必要があった。石畳の脇に平な部分などあるときはなるべくそこを通った。前回左足の膝を痛めて三嶋から先を断念した痛い経験があったので、今回はなるべく摺り足で膝への衝撃を少なく心掛けた。旧道を通らずに国道を通った方がはるかに走りやすく時間もかからず、神経もすり減らすことなくラクできたはずと思った。

下りの西坂の石畳では足元をよく見ながら慎重かつなるべく無駄なく足を進める。そこで次のようなことを考えながら走った。最近、二足歩行ロボットがあってころんでも起き上がる機能があるとか、いろいろ進歩しているようだが、もしロボットに自分が今走っているのと同じことをさせようとすると、3桁ほどの速いコンピュータが必要になるであろう。視覚センサーや平衡感覚、どんな地形でも着地できる精密な着地部分とその細かい制御、姿勢(重心)制御、予測機能、地面状態のデータベース....滑りやすい石畳、凸凹でひっかかりやすい石畳、まれにぐらついている石、ぐちゃぐちゃに柔らかい地面、水たまり、落葉で覆われていて状態がよく見えない道、段差がまちまちな階段、飛び飛びの石の頭を踏んで行かなくてはならないような荒れた道、草ぼうぼうで足を運ぶのに抵抗のある道....こういういろんな条件の道をキロ7分つまり秒速2.4メートルで転ばず挫かずに安全に走るのは相当に高度の処理が必要なのだぞ。人間は景色をちらちら見ながら、デジカメをしまいながら、こういう余計な事を考えながらこうして走れるのだが、ロボットにはまだまだ10年は無理だろう。いや100年か。いや100年後は分からないなぁ。ここで、どんな道でもキロ7分で走る事のできる二足ロボットが箱根の山を一人で黙々と走っている状況を想像して、少しぎょっとした。で、出会いたくないぞ。そんなロボットには。(^^;

★食料
今回の食料はおにぎりとあんパン。あんパンは袋に5個ほど入っている小さめのもの。これを数度に分けて食べる。旧街道資料館から10分の旧街道入り口に腰を下ろして休み、あんパンを袋を開けようとしたら、なかなか破れず、エイヤッ!と力を入れたところあんパンがふたつ飛び出して足元の濡れた泥土の上に落ちた。ひゃぇぁあぁ~。しかし、もちろん泥を手でぬぐって食べた。多少じゃりじゃりしたが。死ぬ事はないだろう。箱根峠のコンビニでも似たようなあんパンを買い途中で食べた。おにぎりが合計4個。あんパンは合計8個。お茶はペットボトルで合計3本。飴も持っていったが、今回はひとつも口にせず。塩は持って来なかった。水は松原神社、三嶋神社の手水所でもごくごく飲んだ。沼津では家系ラーメン沼津家(たしか)の横を通りすぎた。腹も減っていて、水分も塩分も油分も糖分も体が激しく欲していたし、あの家系独特のスープの匂いに一瞬立ち寄ろうかと思ったが、ここで止まったらラスト1キロは走れなくなりそうで泣く泣く断念したのだった。こういう一種の飢餓状態の時にはたいがいのものはすばらしく美味しく感じるものだ。

★神奈川vs静岡
箱根峠で神奈川県から別れ静岡県に入るのだが、そこで両県の東海道に対する思い入れの違いをまざまざと見せつけられた。神奈川県側には殆ど案内も無いのだが(ま、大観光地である箱根なのでそれほど必要ではないが)静岡県に入った途端に、これでもかというぐらい親切な案内板、トイレ、説明板があちこちに有る。また昨年は藪こぎで大変な思いで通った西坂入り口も、今年はきれいに藪が整備されていて、すんばらしく走り易くなっていた。これには★大感謝★だ。また、間違いやすそうなポイントには必ず案内があるようなっていて、まるで東海道フリークが設計したのかと思うほどだ。この親切は三嶋神社まで続いた。静岡県というよりは三島市教育委員会と言った方がかも。

★出会い
箱根の関所は現在工事中で、なにも見るものが無かったのだが、最小の時間で一応説明板等を見ていたのだが、それでも結構な観光客がうろうろとして賑わってはいた。その時、「あなた!ほら!#$%&*+*/よ!」よく聞き取れず。振り向いてみると見知らぬ初老の夫婦が、まるで旧知の友にばったり出会ったかのようなにこやかかつ驚いたような表情で自分を見つめているではないか。え!?自分の事!?はて?誰だろう?一瞬考えたが、知らん。この人達を自分は知らん。とすぐに検索結果は出た。その夫婦が言うには、自分が走って箱根を登っているのを車から見かけたとの由。どこで見たかは聞けなかったが。で、その自分にばったり出会ったので驚いているのだと言う。小田原から沼津まで走る予定である旨を説明したら、よく登られましたね。気をつけて頑張って下さい。とねぎらわれ手を振って別れた。なんか嬉しい出会いだった。よしがんばろうと思った。

山中新田あたりで東海道ウォーキング隊に遭遇。どうも箱根に向かっているようだ。大きな旗を立て中年から初老の男たちが縦隊でぞろぞろ歩いていく。おそろいのオレンジの帽子をかぶっている。みな疲れた様子で足取りも重い。列の最後の方の元気そうな男に声をかけてみた。どちらまで?するとえ~とと考えてから、最終的には東京までなんですがねぇ、今日は箱根まで。そうですか、自分は朝小田原を出て沼津まで行きます。ほう!。頑張って!と言って手をパチパチ叩いてくれた。お互い手を振って別れた。別れてしばらくして、遅れた一団とすれ違った。相当疲れた様子だったので、これから相当登るはずなのに大丈夫であるか心配になった。

★ゴール後
千本浜公園は広大な松林とすんばらしい海岸線からなる公園で若山牧水の石碑があった。駿河湾をはさんで左に伊豆の山々、右には東海道に沿って都まで続く見事な海岸線。丸石だけからなる珍しい海岸におりて波打ち際で波と遊ぶ。砕けた波が石の間にスーっと吸い込まれるのは生まれて始めて見る現象だった。公園のベンチで最後のあんパンとおにぎりを食べ、ウィンドブレーカとジャージをはいて荷物の整理をして沼津駅までとろとろと歩いて戻った。

ちょうど良い始発の東海道線がホームに待っていたので乗り込み、足首をグリグリしながら心地よい痛みを楽しんでいると眠くなり、横浜まで半分ほどうとうと寝ていた。ボックス席に乗り込んできた初老のオバサン二名おじさん一名の会話を聞きながら。窓に預けた腕をまくらにしていると時々腕がしびれた。左目あたりにパルスグラフに押しつけた跡がついていた事に夜になって気がついた。

★野鳥
箱根の芦ノ湖手前あたりでガビチョウという鳥を何度も目撃した。この鳥はカゴ脱け鳥が何故か繁殖して広まったもので首都圏では丹沢などで近年、相当数分布するようになってきた鳥だ。なかなか人を恐れぬ鳥で、口笛でイカルの鳴きまねをしてやると3mほどまで近寄れた。じっとこちらを観察していた。お互いさまだが。目の回りに白いリングがあり続けて後ろに流れていて目立つ。大きさはツグミぐらい。カゴ抜けのくせにデケーつらさらすんじゃねえぞとも思ったが、ま、こいつ自体に罪があるわけではない。これもやはり人間さまの業のせい。ついでに言えばこの鳥は初見だった。

ジョウビタキがたくさん鳴いていた。特に畑宿あたりまでの上り区間。芦ノ湖から箱根峠へ通じる向坂は寂れて殆ど人の通わぬ通りだがそのせいで野鳥が多く昨年はキジを目撃したが、今年はアカゲラかアオゲラ、ウズラの群を見ることができた。大型キツツキはピョー!ピョー!ケケッ!ケケッ!という鋭い声を出し、すぐ近くの木の幹から飛び立った。重量感のある動きだった。

沼津の千本浜ではトビが多く、頭の真上を悠々と飛び交っていた。海にはカモメらしき姿も散見されたが遠くてよく分からず。駿河湾は船で探鳥するとかなりの珍しい鳥が見られる場所だ。

★JR
鴨居から小田原まではSUICAでスイスイ通過出来たのだが....帰りでも沼津駅の改札でSUICAを使って入ろうとしたら、どの改札もSUICA対応になっていなかったので、しかたなく券売機で鴨居まで切符を買おうとしたら、横浜までしかない。またまたしかたないので横浜までの切符を買って乗った。ここの駅は「JR東海」だからであった。新幹線でもSUICA使えないのと同じ。戻ってから鴨居の駅で清算した。1890円。よく考えたら、定期があるので東神奈川までの料金で良かったのではないだろうか。するとそれは1620円だ。270円無駄に払ったことになる。ちょっと間抜けだった。三島から新幹線を使うと3570円で40分早く着く。小田原から小田急に乗れば1520円で帰着時刻は同じだ。ただ、今回は疲れていて眠かったこともあり、乗り換えなどする気にもならなかった。

それから、小田原駅の改装工事がだいぶ終わっていて、改札が2階になりだいぶまともになった。トイレやロッカー、売店など良くなった。以前は小田急の改札を出た後にJRの改札を出なければならないという、理解出来ない構造で、毎回困ったものだ。小田急側の改札がどうなっているのかは確認しなかったが。JRは小田原まではSUICAが使えるのでJR東日本だと思うが、熱海か函南あたりが境界になるのだろうか。

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2009.12.16

旧東海道ラン#2戸塚~小田原

旧東海道を走る戸塚~小田原

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2002/5/5(日)
早朝5時20分にパルスグラフのワンタイムアラームで目覚める。妻を起こさないようにそっと起き出し、ピアノの部屋で身支度を整える。冷たいお茶と、飲むヨーグルトを一口。これが重要なのだ。前日の買物で用意していたおにぎり一個とみにあんパンひとつをさっさと食べ、5時40分に出発。

5時55分の電車に乗り東神奈川で京浜東北に乗り換える。横浜に6時14分。6時18分の横須賀線に乗り戸塚に6時30分に到着。すばらしい連絡。すべて座ってこれた。改札を出る前にまず、自然のお呼びがありトイレに。ついでに着替えも済ませて改札を出る。またもやSuicaが威力を発揮。切符を買わないでよいということがこんなに楽なこととは。駅前の丸井にでるが、地面に下りるのに少し戸惑う。

前回のゴール地点にてパルスグラフをシャキーン!(そんな音は勿論しないが)とセットし、ウェストバッグに塩や小銭入れを入れて準備万端。踏み切りにはなんと車止めがしてあり夜間は通行止めなのだろうか。ちょうど踏み切りが上がったところで深呼吸。スタートボタンを押して出発だ。

天気は晴れ。だが前日からの強い風がまだ吹いている。戸塚のメイン通りはまだお目覚め前。シャッターの降りた商店街を通り抜けていく。富塚八幡裏の緑地からしきりにウグイスのホーホケキョが聞こえる。なかなかいいもんだ。ゆるやかだが長い坂(大坂というらしい)を登ると国道1号と合流する。朝早くから湘南方面へ向かうレジャーのバイクや車が多い。風が真正面から吹きつけてくるため、とても走りにくい。一日中これでは相当辛いことになりそうだ。目にゴミが入らないように帽子を深くかぶる。

道なりに走り、左への分岐を気にしながら、鉄砲宿という由緒ありそうな地名を通り過ぎると遊行寺につく。境内では早くも故物市のようなものの準備が始まっていた。約ニ里走ったことになるので小休止とする。きちんと参拝し、座り込んでおにぎりを食べ、用意した塩を舐め、水分を補給して約5分半。ラップを刻むと53’28。すぐに出発する。藤沢橋ではなく遊行寺橋を渡り、こちらが本当の旧東海道なのだと自己満足する。

藤沢

ここからはほぼ西に向けて走ることになる。北側にたぶん清掃工場のものであろう高い煙突を見ながら藤沢の街中を抜ける。途中橋の下を鉄道が通っていた。しばらく考えて、小田急江ノ島線だろうと思った。途中で有名なおしゃれ地蔵があったがそれと気付いただけで0.1秒も止まらずに走り抜ける。

茅ヶ崎市に入ると赤松町とか小和田とか、由緒ありそうな地名となる。松林中学というのがあり、さすが東海道だとか思う。東陶の工場の前で入り口に「トイレのご相談承ります」とあるのでトイレを貸してもらおうかと思い、見ると守衛が二人居た。しかし、意味が違うなぁと思い当たった(笑)。茅ヶ崎を過ぎ、そろそろまたニ里になりそうなのでコンビニを探す。ファミリーマートがあったので小休止。お茶とおにぎりを買い、あんパンを食べ、お茶を飲み、塩を舐め、4分で再出発。ラップを刻むと56’55。累計で1:50’24だ。

右にカーブするあたりで左富士が立派だ。くっきりとした富士山はかなり近く、感動を覚える。だんだん近づいているぞ。馬入橋は長い橋だ。川面をジェットスキーのようなものが走っている。寒川神社の山車を積んだトラックがゆるゆると進んでいて交通を完全に邪魔している。後ろには観光バスを初めとする車が数珠つなぎだ。今日は5月5日。なにかの祭りなのだろう。太鼓をどんどこたたき、リズムが良い。右手には大山がだんだん目立ってくる。古くから大山詣では鎌倉や江ノ島、金沢八景と並んで関東一円からの大観光名所だったという。いつか行ってみたいものだ。

平塚に入るとあちこちで同じような山車が出ている。近所の子供がパジャマのまま走って来て百円玉か何かを渡して、変わりにニラの束のようなものを受け取っていく。平塚のメイン通りにも商店主達がまだかまだかというように山車を待っている。街中をすぎたあたりで国道を渡って右側の脇道に逸れる。旧東海道だ。が、すぐに国道に合流する。

大磯

花水橋を渡ると、老夫婦が地図を手に手に散歩している。たぶん旧東海道を辿るのだろう。な~んか嬉しい。目の前に高麗山(こまやま)が迫ってくる。右側にいい感じの道がある。化粧坂(けわいざか)だ。JRにぶつかり、残念な事にトンネルで線路の下をくぐることになる。もう大磯だ。すてきな松並木を過ぎると国道と合流し、しかしややせせこましい道となる。コンビニを探すが、なかなか無い。仕方ないので自販機でお茶を買い、大磯局前のバス停で小休止。すぐに出発するとコンビニを発見。すかさず入り、ペットボトルとおにぎりを購入。50’52”。気温がどんどん上がっているためか全部飲めてしまった。この辺りから日差しを気にしながら走ることになる。蒲鉾屋かなにかの古い店に観光客が溢れている。何を買おうとしているのやら。有名店なのだろう。

旧道への脇道があるはずなので注意して右側を走る。が、それらしき別れ道が無い。大磯城山公園のあたりで右に別れる道を発見。しかし、立派な道路だ。旧道の臭いがしない。走りながらどうしようか迷っているうちに真っ直ぐに行ってしまう。左手に大磯ロングビーチらしきでっかいホテルが見える。ところどころ松並木があり雰囲気は良いのだが、真夏のような直射日光を遮るものが少なく、かなり体力を奪われていく。走りながらときどき大きな松の幹にタッチしてみてエナジーをもらおうとするが元気は湧いて来ない。

二宮を駅の近くのコンビニでまた小休止。お茶を買ってトイレを借り、ぱんぱんに膨らんだ膀胱を空にした。すっきりしてから店の前にどたっと座り込んで、ミニあんパンをお茶で流し込む。だいぶ疲れて来た。藤沢以降は風は止まったが、とにかく暑い。43’17。だんだん次の休憩までのスパンが短くなって来た。まずいぞまずいぞ。湘南の海が近い。青くとても綺麗だ。波が白いしぶきを上げている。そして西湘バイパスがそのすんばらしい景色を台無しにしている。時間があれば海に足をつけて休んでみたい。しかし、あの波ではそれどころではなさそう。もともと海は恐いのだ。

小田原

国道の面白味の無い道をとにかく走る。押切坂という旧道はその雰囲気ですぐにそれと分かったので分け入り、しばしの旧道を楽しむ。だんだん大きくなってくる箱根の山々に向かって走る。が、全身の疲労感と太陽の日差しが気力を奪い取っていく。国府津の近くで我慢できなくなりガソリンスタンドに駆け込む。自販機で水分を補給し、塩を舐め、ソファでしばらく休む。が、4分で再出発だ。34’11。ガソリンスタンドを使うのは初めてだ。店員に手を振って感謝の意を表して走り出す。いつの間にか小田原市内に入っていた。

せめて一里(約4キロ)は走ろう。次の休憩までに。歩くのだけは我慢しよう。とそれだけを念じながらゆるゆると走る。酒匂川手前でちょうどよさげなガソリンスタンドがあり、またまた利用する。店員に自販機ありますかと聞いてから中に入る。水分を補給し、スタンドに座って疲れた足をブラブラさせて休足し、また4分で出発。洗車を依頼してご本人たちは休憩中の夫婦らしき二人連れが先客でソファに座っていたが、ガソリンスタンドに突然表れた異様な風体の男に驚いていたようだった。が、気にしない。気にする余裕も無かった。店員に聞くと小田原城まではあと3~4キロぐらいとのこと。よし最後のひとっ走りとがんばって走り出す。酒匂川のでかい橋を渡ると、道は大渋滞していた。小田原、箱根方面への観光客だろうか。

神社の御輿があちこちに出ている。もう少しだ。新宿交差点を左に入り、すぐに右折するのが旧東海道だ。しばらく行くと右手に松原神社が見えた。吸い込まれるように境内に入り、パルスグラフのストップボタンを押す。22’49。あ~~~。やっと着いた。力の入らない指で家族と親族の分のお賽銭を取り出し賽銭箱に落とす。しっかりと参拝し、今日の無事を感謝する。木陰に座り込んでしばらく休憩する。11時32分だった。

松原神社

手と顔を念入りに洗い、熱を冷まし、喉を潤す。子供が来て隣で水を飲む。うまいなぁ。と、なぜか共感しあう。インスピレーションというか、交わした眼差しで、ぴったり来たのだった。不思議な感じ。その子は「夏は水が旨いなぁ」と言うので「ほんとにそうやな。」となぜか関西弁ふうに応えた。お互いににっこりして別れた。自分も相当うまそうに水を飲んでいたのだろう。頭にも水をかぶりゆっくりする。本当はここでゴールするのではなく、箱根湯本手前の三枚橋(さんまいばし)あたりまで行けたら行きたかったのだが、この予想外の暑さに、そんな思惑はぶっ飛んだ。もう十分に疲れた。今日は終わりだ。

あちらこちら祭りで一色の街中をゆるゆると小田原駅まで歩く。けっこう距離がある。駅に着いたのは12時ちょい前。時刻表で上りの快速アクティーが12:22にあるのを確認して地下街に下りる。トイレの洗面所で顔や腕や首筋を念入りに洗い、タオルを使って汗を拭き取り、ジャージとウィンドブレーカーをはおる。暑いが仕方がない。ソフトクリームを買いベンチで食べる。10分前になったのでSuicaを使って改札を抜けホームに上がる。休日の真昼だというのに上り電車を待つ客が結構多い。22分のはずのアクティが24分ごろ来て、うまく座れる。

ちょうどよいことに向かって左側のドア脇の席に座れた。車内はきつめに冷房が入っており、ジャージとウィンドブレーカーでちょうど良かった。外の景色を眺めながら、小一時間で横浜に着く。5時間近くもかかって走った距離なのに。ちょうど横浜線の直通が来てがらがらだった。ナイスタイミング。家に着いたのは13:45頃だった。

最後に本日のまとめ

距離 約40キロ(もうすこしあったかも)
タイム 4:50’02
平均心拍数156 最大200 平均ピッチ163
ロスタイムは休憩が合計で30分ほど

今回は予想外に気温が高く、辛かった。また旧道を辿るのを2箇所は失敗していて、ガイドブックあるいは地図を持って走るべきであったと反省する。なるべく荷物を軽くするためにガイドの文庫本さえも置いて来たのだった。やはり事前にいくら覚え込んだつもりでも、実際に現場では迷う。具体的な交差点の名前などを覚えてなくては確信を持って道を選べない。特に疲れて頭が働かないような場合や気力が失せてとにかくゴールしたいだけになってしまった場合には新道(国道)をまっすぐ行ってしまいがち。後で後悔することになる。

今回は塩をラップにくるんでウェストバックに持っていった。休憩の度に一舐めしたので、たぶん塩分不足によるダメージは少なかったかと思う。これからもっと暑くなるので、次回からも欠かせない。

次回は小田原から箱根を上って三島に下りる、いわゆる箱根八里の山越えとなる。権太坂さえも走って上れなかったのだから、その8倍もある箱根の山は歩きになるだろう。しかし、急坂以外はなるべく走ることとしたい。ゆっくりでも。距離は八里だから約32キロとそう長くはない。いままで通りに普通に走れば3時間半。が、歩きの時間が長くなると、やはり5時間ぐらいかかるかも知れない。いつ実行できるかは妻のご機嫌にかかっている。雰囲気づくりと日頃の行いに気をつけることが肝要だぁ。

★これまでの累計
日本橋~戸塚~小田原
距離 81キロ
時間 9:59’19”

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