旧東海道を走る#5 興津~藤枝
2004年2月12日
出発
予定では興津~島田。あわよくばお次の金谷まで走ろうと思っていた。準備は万端。前日の天気予報では晴、気温もかなり高くなるという事だった。あまり気温が上がるとバテるので12度程度であってくれと思った。
朝0615時に起床。あんパンを一口二口。前夜準備しておいたものを身につけて出発。上の娘は起きてラジオの基礎英語3を勉強中だった。玄関の鍵をかけるように頼んで家を出る。0638時。サークルKでおにぎりとお茶の食料調達し0658時の上り横浜線に乗る。新横浜では時間があったので待合室でしばしくつろぐ。朝食はここで食べてもいいかなと思う。次回はそうしよう。こだまは発車時刻のだいぶ前に到着する事が多い。ひかりやのぞみをやりすごすためだ。なので早めに12号車の乗り口に行くと、女子大生らしきが輪行袋らしきをかかえて一番に並んでいる。どこかまで行き、自転車で戻ってくるのだろうか。彼女はそのでかい荷物を車両の一番後ろ座席の後ろの隙間に苦労して収納していた。良く見ると中身は自転車ではないかもしれない。パイプのようだったのでパラグライダーの様な物かもしれないと思った。結局はなんだか分からなかったが健闘を祈る。休日とはいえ早い時間帯だからかがらがらに空いていた。
こだま401号出発は0715時。曇っていて富士山どころか大山さえ見えない。三島で降り在来線に乗り換える。0800時。空いていて座れた。沼津、片浜、原、東田子の浦、吉原、富士ときて、0830時。このあたりから太陽が顔を覗かせはじめた。いいぞ。川幅の広い富士川を渡ると富士川駅、新蒲原、蒲原、由比。興津川を渡ると興津だ。前回走った沼津~興津間の街道は基本的にJRより北側を通っている。特に吉原では大きく北西側に迂回している。津波だか高潮だかで街道が何度も被害を被った為のルート変更らしい。
興津(おきつ)
ごとごととやっと興津に到着したのが0845時。けっこう長かった。トイレで着替え、駅前の公園で身支度をする。ジャージやウィンドブレーカ、フリース等をリュックに仕舞い必要なものを身につけて走り出したのが0855時。リュックが多少重く感じた。太陽は出ているがまだまだ寒い。
見どころを見逃さないようにデジカメを持って走る。まだ気温が低く、ガイドマップをもった左手とデジカメをもった右手が冷たい。手袋をしようかと思ったがリュックの一番底にある為、出すのが面倒だし、走り始めたばかりだからとしばらく我慢することにする。マップをもった左手の開いた指が特に冷たい。駅前からしばらく道路工事中で、拡幅工事でもしているようであった。清見寺でいかにも街道歩き人と見られる中高年男性を発見。実は同じ駅で降りたのを見て気づいていたのだが。一言ふたこと話をして、同好の志との遭遇に勇気づけられた。ただ、清見寺は見ていかれないのですが?と聞かれ、もったいないですが、走っているのでと答え、本当にもったいないなぁと思った。旧東海道も走りと歩きは別の楽しみかたなのだと自分を納得させる。歩きでじっくり見て回るのは歳をとってからの楽しみに取っておこう。
江尻
江尻(現清水市)(注:2009年時点ではたしか合併して静岡市になっているものと思う。しかし味気ない地名よりも駿府市という方が百倍すてきだと思うぞ。)に入り、持っていたガイドマップの区間が切れるところでなんと道を間違え、200m程戻る事になった。右に曲がる右に曲がるとそればかり思っていたので、目印の交差点で右に曲がってしまったのだ。だってそこがガイドマップの切れ目だったのだ。勘違いとはそういうもの。次のマップを出すためリュックを下ろして小休止。これでロスタイムが多分4分ぐらいか。先が思いやられる。ここで0931時。
正しい道に戻り右折ポイントを今度は間違えずに右折し、程なく今度は左折。稚児橋に到着。ここで小休止だ。橋の四隅の欄干の稚児像をデジカメし、橋の向こう側にあった稚児の休み石とやらに座り込んでお茶を飲み、フォイルに苦労して包んで来た塩を舐める。あぁ旨い。一度座ってリュックを下ろして飲み食いすると最低3分はかかる。
走り出すと旧街道らしさのある道となる。程なく真っ赤な巨大のれんを発見。目立つ事このうえなし。有名な追分ようかんだ。道標と店構えをデジカメする。休んだばかりだしそのまま走り去ろうかとも思ったが、張り紙に8:30から営業とあるのを見て思い返し、扉を開けて中に入ってみた。年配の女性が二人、正座で丁寧なお辞儀をされてびっくりする。230円也の一口羊羹をふたつ買い求め、街道走りの事を二言三言話し、暖かく見送ってもらい元気つけられた。ここでのロスタイムは5分ぐらいか。あ、そうそう、★ちびまるこちゃん★の家がこの辺りらしい。0955時。
草薙(くさなぎ)
東海道線の踏切が降りていて、一両しかない静岡鉄道の電車があっちに行くのとこっちにくるのとJRの電車が行くのを待たされた。ロスタイム3分ぐらいか。これからしばらくはJRの線路が旧東海道の左右にうねるように(JRの方が真っ直ぐで旧東海道がうねっているのだが)何度も交差するので、なんとも邪魔臭い存在となる。
千手寺を過ぎて大通りに出る。マップでは直進するように表現されているがそれらしき道がない。大通りを渡ってちょっと左に入る道を入ってみるが、どうも違う。いかん。しかたなく大通りを左右をキョロキョロしながら歩く。ほどなくこれでいいのではないかと思えて来た。1017時。草薙神社鳥居を発見しそれが確信に変わる。そこから一本裏通りを通る事になるのだが、間違えて左折したまま相当な登り道を上まで行ってしまう。気づいた時にはだいぶ高度をかせいでいて、マップをよおく見直して戻る羽目になる。このあたり最悪やな。正しい道に戻ってからはほぼ道なりに真っ直ぐだ。ここのロスも3分はあったな。
後刻、帰りの新幹線のなかで文庫本のガイドブックでこの区間を見てみたら、間違えようなく正しいルートが表現されていた。こっちを見ておけばよかった。一つのマップだけを頼りにしてはいけないという事だな。牛肉の輸入をアメリカだけに頼るなということだ。バックアップを用意しておいていざという時にそれを利用しろということだな。
府中
東名高速の橋脚をくぐり、先の大通りを渡りJRの線路脇にある旧東海道記念碑のベンチにて小休止とする。あんパンを食べ、さっきの一口羊羹を食べてみよう。まず袋が開きにくい。開けると手がベタベタになってしまう。竹の包みを開けると羊羹というよりはもっとねっとりした別の和菓子だと感じた。口のなかで強く粘る感じで食べにくくお茶で流し込んだ。竹の皮のかけらが口に残りぺっと吐き出した。一口では到底無理で1/3だけ食べ、周りがベトベトにならないように慎重に包んでリュックにしまう。携行食というか行動食には向かない食べ物だった。ここでのロスタイムは4分ぐらいか。1038時出発。
JRをくぐる為にトンネルに入る。狭く暗いトンネルは車も通るので危険だ。幸い、車とは遭遇せずに済んだ。トンネルを出ると今度は国道1号を渡り静岡鉄道沿いに走る。途中、踏切がありしかしその手前も向こう側もフェンスで遮られていて誰も通る事が無く、まったく何の意味も無い踏切がカンカン鳴っていた。向こう側の土地にあったものがつぶれてさら地になっているので、昔は意味があったのだろう。護国寺を右手に、大きなジーパン屋のところでまた国道を渡る。JRの下をくぐりこがね橋というのを渡って進み、またまたからみつくようなJRの下をくぐる。国道1号を渡り(もう何度めか?)、静岡の駅前の賑やかな街中に入る。五叉路があり、駿府城のお掘らしき景色をデジカメ。横断歩道が無く困っていると地下道で渡るようになっていた。右折するとこぎれいな繁華街。札の辻で左折し、コンビニに入りトイレを借り、お茶を買い小休止。1125時。右折ポイントが分からず100mほど行き過ぎて戻るとさっきのコンビニがポイントだった。ちなみにこのコンビニの住所はレシートによると静岡市七間町18-1だった。
さてこの府中宿では五回の曲がり角があるのだが、右折してから最後の左折ポイントが分からずまたまた行き過ぎて大通りにまで来てしまう。信号待ちの自転車の女性に道を尋ねた。とにかく行き過ぎた事だけは分かったので戻りその近辺をうろうろしていると、さっきの自転車の女性がわざわざ戻って来てくれて、あそこのカメラ屋の所ですよと教えてくれた。大感謝!本当にありがたかった!しかし、この近辺でのロスタイムは痛い。
左折ポイントからは地味な道が真っ直ぐ続き、安倍川手前の公園にて大休止とする。1142時だ。ベンチでおにぎりを食べあんパンを食べ、お茶を飲んでいるとハトが大量に集まって来てエサを期待しているようだった。エサをやるバカが街中のドバトを養っている事実を苦々しく思ってるので完全無視を決め込み、足元にまで寄ってくるハトに時々ケリ(当たらないように)を入れたりした。しかしまわりでばたばた羽ばたかれて★鳥インフルエンザウイルス★とやらをまき散らされて吸い込むのは是非とも願い下げなのでケリは2回で止めた。日本野鳥の会の古い会員であり、野鳥には深い愛情を抱いているが、その反面野鳥ではないドバトにはちょっと冷たいかも。既に予定より遅れていて、まだこの先が長いので、ゆっくりはしていられず、由比小雪の墓やらを撮影して、大休止8分ですぐ出発。
橋手前に安倍川餅屋がありこれも撮影。この安倍川餅は「あべかわ」と濁らず発音する。JR駅の名前も安倍川「あべかわ」である。で、川の名前はあべかわかあべがわか?普通はあべがわと読みそうだが、どっちであろうか?ともかく、長い橋を渡ると丸子だ。
丸子
丸子と書いてただしくは「まりこ」と読む(はず)。昔は鞠子と書いていたわけだから。地図にも「まりこ」とフリガナがふってある。でも最近は地元の人も「まるこ」と読んでいるらしい。この辺りはひなびた旧街道と、強力な存在感の国道1号が左右するようになる。左手の山の表皮がはぎ取られていて、悲惨な光景にぞっとする。吉原の醜悪な製紙工場以来の嫌悪感を感じた。土砂でも採取しているのだろうか。採石場か。そういえばこの近辺、石屋が多いような気もした。最終的には緑で覆うのか?
国道の一本裏通りを走る。明治天皇のなんたらという石碑。左手の家、新聞販売店かなにかだと思うが、店先で作業をしていた若い女性とふと目が合い、なんとにっこり会釈をされる。ピンクのきらきらしたジャージ姿だったので運動会系の女子高校生のバイトと見た。一瞬あせったが会釈を返して、★元気倍増★で走り抜けるのだった。がんばって!と励ましてくれたのだ。しかし自分の娘と同世代に街道走り屋が分かるのだろうか?
程なく有名な丁字屋に到着。1222時。うわさには聞いていたが、完全な観光地となっていて国道を車や観光バスで来た大勢の観光客がうじゃうじゃ居てぎょっとした。見た目は立派なので何枚かデジカメする。立派な藁葺き屋根で安藤広重の東海道五十三次の鞠子のモデルとなった家に似せて造られたらしい。名物とろろ汁ののれんが誘惑していた。左折して橋を渡り国道脇の街道を再び辿るが、すぐに国道に合流。しかしその地点でまた道に迷い300m程の無駄道を辿り戻る。この辺りから全身の疲労感が顕著に現れ始め、早くも歩きたくなってくる。車線数が多く幅の広い国道を渡る横断歩道などなく、歩道橋を登り降りせねばならないのが膝に辛くなってくる。ただ、そのおかげで歩道橋脇にある仏像の写真を撮れた。
高速道路のような国道1号の歩道を我慢して走り続けると「道の駅」というのに辿り着いた。1255時。ベンチやトイレ、自販機などがあるので大休止とする。お茶を飲み、一口羊羹の残りを食べ、スニッカーズをかじる。塩を舐める。お茶のペットボトルを買い、それにも口をつける。9分のロスタムで再び出発。
国道の巨大なトンネルを正面にみて右折すると、一挙に400年ワープしたような古い街道の町並みが現れ驚く。宇津ノ谷だ。奇跡的な光景を何枚かデジカメし、今回唯一の山越えに入る。本当に山道を登る。と見晴らしの良い地点にベンチがあり、一組の夫婦らしき男女が休んでいる。当方ももともと苦しい上に山道を登った為ちょっと休憩。こんにちはと声をかけると、あまりに寂しい山道なので不安になっていたらしいようで、この道で岡部に通じるのかと聞くので、この道でいいですよとか答える。1~2分話をし、心拍数が落ちついたのでまた出発。後で気がついたが、ここは宇津ノ谷の町並みを見下ろす絶好のビューポイントだったのに、その景色を見逃してしまった。残念。走り出すともうしばらく登りが続き、走れなくなりまた歩く。山道なのに工事中になり、なんらかの整備が行われていた。下りに入るとまた工事。まっさらなアスファルト道路になりなおも下る。下りきるとまたまた国道1号と合流。
岡部
あ~いやだ、この国道1号。渡る為に一度歩道橋を渡る。こういうのが地図上では距離ゼロなのに、実際は登り降りで体力を奪うわけだ。岡部宿に入りしばし国道から離れほっとする。やや下りなのだが、もう体力は限界に近づいて来ているような状態だった。予定ではこのあと藤枝、島田。できれば金谷まで行こうと思っていたのだが、ぜったいに無理と感じた。時々歩きを交えて頑張る。このあたりもよく整備されたきれいな旧街道だ。だが当方には目で楽しむ余裕が無かった。三輪病院というのがあって休診日なのだが、入り口前にベンチがあったので勝手に使わせてもらって小休止とする。月曜日の朝などは元気な婆さんなどが多数集まりこのベンチに座って話しの輪になるのであろう。お茶を飲みスニッカーズをかじり、塩を舐める。最悪、藤枝までバスでもタクシーでも使って帰る事になるかも知れないと覚悟する。1347時だった。
動かぬ身体に鞭打ち、腕をしっかり振ってゆっくりでも走り続ける事を心掛ける。走りかたをちょっと変えてみて膝をなるべく低く保ってみたり、歩幅を長くしたり、短くしたり、別の筋肉の使い方して疲れかたを最小にするように工夫をこらす。デジカメも残り容量が少なくなり、すててもいいようなものを削除する。歩きながら。数日前のホウレンソウの写真など全部消してしまう。しかしよく撮ったな今日は。国道1号の下を通り、横内橋を渡り、法の橋を渡り、川沿いに走る。停まらずにゆっくりでも走り続ければなんとかなる。先ほどの山越え以来川の流れが進行方向向きに変わっている。分水嶺を越えたというわけだ。
藤枝
なかば意識も朦朧と(ちょっと大げさだが)注意力も落ちていていろいろなものを見落としているような気がしていた。とにかく止まらないように走る。走る。走る。右手に巨大な大木が出現しびっくり仰天。思わず立ち止まってしまう。須賀神社の大楠だ。根回り(ってどこの事か?不明だが)15.2mとのこと。もちろんデジカメする。が、表現が難しい。いかに巨木でもそれだけを撮ってもその巨大さは分からない。しかし、構図を検討したりする心の余裕はまったく1ミリたりとも無い。ただとにかく写すのみ。1423時。
1433時、成田山前を通過。賑やかな街中に入る。藤枝市のマンホールや消火栓の蓋などもデジカメする。けっこう凝っていたりするのだな。市によっては。半ば歩き、ゆるゆる走りを繰り返しだましだましなんとか瀬戸川をやっと越える。最後1キロほどで大通りとの青木交差点。渡ったところで本日のゴールとする。感動はなく若干の安堵感となんとも言えぬ無念さでいっぱいだ。写真を撮り次回の出発地点を記録する。ここは江戸日本橋から193km。本日のスタート地点が155kmなので約38km。1500時だった。
ゴール後
そこから藤枝駅まで約1キロとぼとぼと歩く。駅前には三階建てぐらいのダイエーみたいなスーパーがあるだろうからそこのトイレで着替えたり水を使ったりしようと思っていたが、そんなものはなく駅に着く。1511時。トイレで着替え、洗面所で顔や腕を洗い流し、タオルを使ってさっぱりする。しばらくぶらぶらし、駅前のロータリーに誰やらの銅像があるので近づいて名前を確認してみたが、まったく知らぬ名前だった。駅ビルにロッテリアがあったので入って休憩しようかとちらと考えたが、早く帰れるかも知れないからと思い直し、だいぶ早いが電車に乗る事にする。
窓口で島田~新横浜の乗車券が藤枝からでも使える事を確認して自動改札を通る。ホームのベンチで陽に当たりながら休むと程なく電車が来た。しかし三両編成でベンチを素通りして離れた所に止まり慌てて電車を追いかけて乗り込む。あせるじゃないか。1535時。がらがらで殆ど乗客無し。20分程で静岡に到着。1555時。座席指定した新幹線は1615時発なのでゆっくりできると思っていた。が、その一本前のこだまが停まっていたのでエイヤと乗り込んでしまった。禁煙の自由席ががらがらだったので富士山側に座る。ラッキー!13号車5E。1558時に出発。余ったあんパンやおにぎり、一口羊羹を食べお茶も空にする。足首や腰を伸ばしたり曲げたりしながらダメージの軽減を図りながら景色を楽しむ。そういえば、今日は、朝から帰りまで一度も富士山を見なかったし見えなかった。一番よく見えるポイントである新富士駅からも富士山のあるあたりに漠然とおおきな雲があって、まったく見えない。他は晴れているのに。小田原を過ぎたあたりの酒匂川では河原にゴイサギが見えた。まだまだ日は落ちてない。進行方向に向かって左側の窓から後ろの方にまんまるいオレンジ色の太陽が見えている。
最後の波瀾
新横浜到着は1704時。なんとまだ日没してない。日が長くなったものだ。ホームのごみ箱にペットボトルその他のゴミを分けて捨てる。改札では記念のために「無効」の印を押してもらって切符を持ち帰る。すると、横浜線でたった今事故が発生したので上下線とも停っていますというアナウンスが流れどきっとする。今日はこれまで交通の便は支障無くスムーズだったのになんで最後こうなるの?最悪の事をちょっと考えてみる。
地下鉄で岸根公園か片倉町まで行き、バスを待つことになるか。疲れたこの身にそれはちょっと辛いぞ。堪忍してくれ。とりあえず停まっていた横浜線」下り電車に乗り込み、ただひたすら心の中で祈りながら待つ。5分後、上り電車が先に発車し続いて下りもやっと出発しほっとする。小机のトンネルを出た踏切近くにパトカーが停まっていた。乗客が「あれよ!あれ!」とか指さしていた。赤いライトが点滅していた。自宅には1730時に着く。
天気はほぼ晴れ。気温は高くなるという予報だったが、体感的にはやや寒く、走るのにはちょうど良いコンディションだった。予定の島田まで行けず、非常に残念だが、無事戻れてほっとした。ちなみに撮影した写真は今回約170枚。64MBのCFカードだが、大容量512MBとか1GBのに変えたいな。あ、でもその前にデジカメも最新にしたいとか、あ~いかんいかん。切りがない。
これで日本橋から京都三条大橋までの約4割を走破した事になる。53次のうち22宿まで到達だ。
日本橋、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根、三島、沼津、原、吉原、蒲原、由比、興津、江尻、府中、丸子、岡部、藤枝だ。
この後どうなることやら?
距離 38km
タイム 6:05’30” 歩きも含む(ロスタイムは約1時間20分)
心拍数 平均142 最大178
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